我を失ったとき己が立ち現れて自らを誘う

2013.02.13 晴れ

今朝は ザ・コレクターズ / プロポーズソング でスタート。日曜日、MUSEで聴いた。京都のほうはあんまり好みじゃなかったのに、この歌のおかげで大のお気に入りに。あと3枚でSOLD OUTのMUSEってはじめて見た。ゆれるゆれる。50歳過ぎてこんなまっすぐな歌詞を書けて歌えるってホントすてきだ。ハートにビンビンきた。

母が産んでくれた日に何かするやら何かを食べたりとか、何かもらうというのに関心がない。何か、の前に”とりわけ”なんて意味があふれそうなコトやモノならばなおさらであり、我ながらひねくれている。何か気になるか、と尋ねられたら、「終わりだ」と答える。終わり方。

ひねくれているわりに何もなければそのまま床につくも、寂寥たる眺めを脳裏に浮かべてしっとりじめじめした感情が身体を包み込む、ところだった。

そんな終わり方かなって思っていたら、思いもしなかった「言葉」がノックした。誰だろうと思って心の鍵を取り出して招き入れたら、今度はちょっとだけ興奮してあやうく眠れなくなりそうな甘美な来訪であった。

もうそれでほんとに充分だ。ぐっすり眠った。ほんとにありがとう。いつでも取り出せる脳の抽斗にしまって、おりにふれ眺めさせてもらうね。

朝から大阪へ出発。F先生のMacBook Airが故障寸前なのでバックアップの確認へ向かう。11:00すぎに到着して12:30ごろになんとか息も絶え絶えの手前でドキドキしながらバックアップ完了。もし、最中にブラックアウトしていたらと思っただけで体感温度は零度を下回りました。

琵琶湖 Lake Biwa

ある方とお話ししていたとき、M先生が脳裏によぎった。いまもよぎる。昨年の11月末でこちらから支援の終了を申し出てご了承いただいた。申し出るときから、これほど失礼で非礼な話はないなっと思っていた。その思いは変わらない。

反省や内省とはやや異なる振り返り。まだよくわからない。いまの状態をラベルに貼って、「反省」や「内省」って陳列できなくて、理解できない前衛劇を鑑賞して、意味と解釈を言葉にしたくてもどかしい感じだ。

よりよきふるまい。

自分をよく思ってもらうというわけではない。先生の気持ちを慮った終わり方があった。確かにあったはずである。「あった」選択を思い浮かべられていたんだろうか。きめの細かい配慮を懸命に手がけたあとで繊細にM先生へ接近していただろうか。

僕の支援は影響を与えていない。成果を出力できなかった負い目があったから申し出た。「バカか、何くそと思って成果を出すのが筋だろう」が健全かつ最適な見方である。僕の卑怯な点だと自己分析している。

医院はさらによりよき方へ漸進していらっしゃることと想像する。

話している時、二重音声になる。自分の話している内容とその内容が耳から入って頭のなかで咀嚼して、また別の考えが浮かぶ。へんなときは、同時進行で話が進む。話していることと脳裏で進行する話のパラレル。口語と文語の寸劇。

話ながら思う。善悪是非を完璧に捨象して己のあるがままを認められるだろうか? 改善や修正を前提にしない。いまここにいる自分をそのまま認める。

できるだろうか? それは我を失うということか、また異なる位相か。あるがままの自分を受け入れて我を失い、彼、彼女のなかへ埋もれていって溶け込む。もし溶け込めたなら、我と彼、彼女のぼんやりした境目から生まれてくる誰か、何か。

価値は基準が存在するから、価値を測定、測量、査定できる。比較する。自身の信念や理念や行動様式と合致する価値を選ぶ。それらを加工して自分の価値をつくりだす。基準を彼方へおしやり、価値をごみ箱へ捨てたとき、何をもって私をはかるのか。

話ながらのパラレルワールド。現実と空想の交わり。

作成者: thinksell

creativity = chaos chaos = creativity Embrance it or die. フリーランス。開業から歯科医院のウェブサイトを制作していますが、いつの間にか歯科医院のデザインを提供している、らしいです。 自己評価は口八丁で綱渡り。やっぱり餅は餅屋が最適です。

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