diary

基本はふたつの性質を備えている

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2013.02.18 雨

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=xzrC72Xv6pE]

今朝は、Regina Spektor – Us でスタート。(500)日のサマーのサントラで聴いて知った。シンガーソングライター兼ピアニスト。映画とともにすっかりお気に入りで、ちなみに映画のヒロイン、Zooey Deschanel の姉は Emily Deschanel で、大好きなドラマ BONES の主人公。

二十四節気、雨水。太陽の黄経は330度。第四候、土脉潤起。春を待つ雨。寒さと相まって、肌がキリキリ。もう三寒四温かしら。そもいつを指す言葉か。ブルブルふるわせてホームで列車を待つ。

目の前の比叡山は幽雅な霧をまとっている。絵心があればなぁとも、望遠でカリっと撮影できる腕があればやら思いつつ、なんとか記憶に残そうと必死、忘れるでしょう、嘆息。

仕事している姿をフォトグラファの方に撮影してもらう機会があり、そのとき300mmの単焦点をD4に装着して構えさせてもらった。撮影してよいよって言われたのでお言葉に甘えてレリーズしたら、すべてが異次元の世界だった。

300mmの単焦点の手持ちなんて、僕の腕だと確実に手ぶれする。なのに数枚は手ぶれ補正が効いてピントがあっていた。AFの速度。構えた瞬間に合焦していた。まさに構えた瞬間。自分のカメラと比べるとしたら(否、比べられるシロモノではないですが)、自転車とF1ぐらい違う。徒歩とF1か。

次に手ぶれ補正が効かないMFだけのレンズで撮影させてもらった。すべてのカットのピントがあわない。はずかしい。まったく合わない、合わない。合っても手ぶれする。要するに、もっとも基本的な動作を習得していない。いままで道具の性能に甘えていたわけだ。

同一の構造が他のコトにおいて僕に当てはめられる。

基本や型がある。一連の動作や行動は一般化された手順を持つ。慣習から生成された手順や外国から輸入されたプロトコルなど、言葉や図に記録される。なかには口伝もあるかもしれない。基本や型を知らずに我流で押し通せられるとしたら、それは一握りの異才だけだろう。異才を除けば、守・破・離の行程をたどって我が生育されていく。

基本や型があっての話だ。かつ、それがどこにあり、いかなる系を構成しているかを外部へ明示できてこそだと思う。どこからどこまでを学べば、「基本」であるかを認識できなければ、基本の「迷宮」から出られなくなる。

悩ましい。基本は二つの性質を備えている。業界や業種の中で成立する技術の基本。もうひとつは立ち居振る舞いの中で成立する基本。前者は学校や現場で学べるが、後者はどこで学べるか。後者に「範囲」はあるだろうか?

後者の基本を教えている「基本」が我流であってもおかしくない。

琵琶湖 Lake Biwa

12:00前に出発して大阪へ。F先生のミーティングに参加。ミーティングの形式が変わった。形式の変更は全体に影響を与える。影響を受容して変化していく過程を観察しなければならない。

15:00に終了。

こうやって文章を書いていて、ますます陳腐になってきたって実感する。昔の記録を読み返すと、はるかにしっかりしたテキストを書いている。

ひとつは読書の量と質が低下したからだと分析している。読書をしなければ自ら考えて書けないわけじゃない。昔のテキストは、読書している最中に触発された意見を書いているはずで、誰かからのアイデアを剽窃している。無から有を創造できない。完璧な独自のテキストはない(と思う)。そう思っているからアイデアを剽窃して自ら加工したテキストを否定しない。

自慰するとしたら、読書の質と量が低下したいまのほうが悩み悶える機会がふえた。そして、言葉の語彙の質感と量の限界が、自ら考える限度の境界線であると認識できつつあり、その状況を打破したいから、「言葉」を学びたい気持ちが強くなってきた。その基本が辞書と文法のような感触がある。

新しい単語を知り、文法を勉強する。一方で、いまなにげなく使っている単語と単語と語句は最適なのでしょうか? な不安がどんどん押し寄せる。

自分の語感と語彙をなんとかしたい。あまりにも貧しすぎる。

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