diary

この時間のためにいる

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2013.03.04 晴れ

今朝は PUSHIM – HEAT feat. EGO-WRAPPIN’ でスタート。このふたりとあってはなぁ。スルーできません。ワタシにはSKAとReggaeのミックスで、で、歌詞は強く切なく声が甘美、わたしの肌の毛はふわりと逆立ち。

人工音よりも静寂の比率が高い朝の時間、あと少ししたら太陽が琵琶湖と会うために白い扉をノックする時間、珈琲豆を冷蔵庫から取り出してスプーンですくう。豆と豆が擦れ合いながらミルのなかへ墜落していく。そのときかすかにシャリって音が聞こえる。自分が奏でたノイズを聞いて、今日は何を聞こうか、昨日、一昨日、その前、以下過去へ遡り、目にしたフレーズはどうやって生成されたんだと徒然、ミルのハンドルを左手で握って回す。

この時間のためにいる。大げさでははない。

「演奏はアメリカだと1時間半だ。私はその1時間半のために生きてるんです」と、日本人のジャズピアニストが言ったとか。オデッサの階段に出演していた強烈な映像的文章を書くアーティストが口にしていた。ぞくぞくした。90分のために生きている。

『人間、50歳から努力した者が変わる』 が、だけが、残った。その歳を迎えていない僕はまだわからない。感触はある。自分自身と向き合ったとき、進化の礎を蓄積できていない。焦る。過去の遺産で仕事を回しているようなもので、このままだと進化はとまる。

進化の受け止め方は様々だ。進化しなくてよいと思っている人もいるし、知識の入力が進化と言う人もいると思う。自らの意見(なんてあるのか疑問だが)を多岐のテーマにわたって述べられるようにするとかもあるかもしれない。

できなかったことができるようになること、感じられなかったことが感じられるようになること、いままで認識できなかった色や匂いや景色を「フレーム」のなかへ取り込めるようになること。僕の進化はこの3つ。

JR山科駅

Instagram でフォローしていた方が、「Bye」の写真を一枚アップして去って行った。たぶん日本の女性だと思う。アカウントは残っているので再開されるかもしれない。見事で鮮やかな去り方だった。60,000人以上のフォロアがいるのに「Bye」の一言。コメント欄は各国の言語がポストされている。

その道のプロの方かもしれない。そんな風に感じられる。何かの拍子ではじめてアクセスしたとき、最初のポストから貪った。食い入った。すばらしいって言葉が一瞬で腐ってしまうので言ってしまったらダメだなって思った。くらくらした。

それからポストされる写真をあたりまえのように眺める日々が続き、ある日、突然、去って行った。何の兆候も前触れもなく。

去って行ったときにわかる。あたりまえでなかった。さくいつながり。なにひとつ言葉を残していかなかった終わり方は、心地よい裏切り(とても建設的な意味で使っている)に包まれ、僕の中で強烈な印象を残した。

このブログいつか終わるとき、真似したいな。日記というか、書き物や写真、言葉遊びはやめられないので、このドメインでの終わり方として。ホント余計な説明はいらない。

あの去り方とそれを眺めていた自分の気持ちを認識したら、アーカイブの言葉をFinderから探し出した。ドラマのセリフ。

「あなたの価値観はいつもストレートでわかりやすい。でも普通はね、何が自分にとって一番大切なのか、気づくことの方がむずかしい」

「それをなくす前に気づくことができれば、ラッキーだ。でも、多くの人は、なくしてしまってから気づくもんでしょ? 彼女がどんなに大切か….. だから、土下座までして手に入れたんですよ」

「身近にあるときにはわからない。失ったときに初めてその大切さに気づく。しかもそれが、その人にとって一番大切なものだったりするから、始末に負えないんですよ」

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