diary

感情が傍若無人を隠す

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2013.03.07 晴れ

今朝は The Miceteeth – 素晴らしい日々 でスタート。なんかね、懐かしい。SKAのリズムと声が。「素晴らしい日々」だと錯覚できるのは自分だけ。生きていく上で、錯覚して勘違いして妄想するってとてもとても大切です。私は、それしかないぐらい、錯覚の精度を向上させることに腐心しています。

もうすぐ二年。報道のボリュームが関西でもやや増えている。きっかけがあって生の声にふられるようになってから、関西から報じられる内容にしっくりこない。表層しかフォーカスできないのでしょうがないな。生活の声は生々しく、苦しく、茫々としていると想像する。

あの日の数日後から夕食の前に手を合わせるようになった。それも習慣になったと油断したら、うっかり二日連続で忘れる。そんなとき、自分に苛立つ。

デバイスからプッシュされてくる二次元の映像と音声の情報は感情を刺激する。だが、プッシュの情報が途切れたら、翌日から自分の生活が始まる。プッシュされた情報はストックされず流される。そのとおり。頷いた。だから自分を律しなければならない。忘れるなんてありえないし、自分がやれることを探して動き出す。

デバイスの上で眺める二次元の映像と音声か、テキストの情報に麻痺している。麻痺を知覚できない。麻痺したまま情報にアクセスする。情報を理解できたら我の中でのコトはおしまい。はじまってもいないし、おわってもいないのに。事象のそのものではなく、事象をパッケージしている情報に喜び落ち込む。

琵琶湖

12:00前に大阪へ出発。やっぱり頭が痛い。この時期から1ヶ月ほど頭痛が続く。数年前から毎年。億劫。ずっと続くかと思えば、途切れ途切れもある。ひどくない。重い。ときおりぼんやりしたり。

大阪に到着したら環状線が止まっていた。何かあったらしい。最近、JRの遅延に遭遇する機会が増えた。確率と統計を分析する知能があれば、たまたまにすぎないのに、遅延が重なると、増えたと勝手に思い込む。そういうものだなっていつも自分の頭の悪さを認識する。

13:40からDHだけのミーティング。事前に準備していることをかならずできるとはかぎらない。その場がもたらす偶然性が、やらなければならないことを変えてしまう。

職務と職域がある。二つが構成する円の中に私は働いている。他者は別の円にいる。私の円と他者の円、二つの円は交わる。完璧に一致しない。交わっている部分と交わっていない部分がある。「交わっている部分」だけが協働だと思い込んでしまう。交わっていない部分が「見えない」からだ。

総務の業務を把握して自分の仕事を全体のタスクフローにはめ込む。全体の業務ができるだけ遅滞なく進行するよう自身の職務と職域を調整する。全体と個だと思う。が、そんな理屈は通らない。自身の職務と職域を優先する。なかには自分の職域と職務だけで働く傍若無人もいる。傍若無人が一定の割合で必要な場合も否定できない。

何をやっているかわからない。もし、「そんなわけない」と思ったら、そういう全知全能の類い希な能力を備えた人はいるんだろう。何が交わっていないか、「話し言葉」で考えるよりも、話し言葉を「絵」に変換して翻訳すると、一目瞭然である。そのとき、なぜ交わっていないか、が認識できて、そこから「問題」を設定できる。

外部から観察する。疑問点を伝達する。遠慮せず率直に疑問点を提示し、「組織の感情」が隠している「コト」を描写する。これが僕の役割と認識している。

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