最小単位は二人

2013.04.07 雨時々曇

今朝は サヨナラCOLOR – SUPER BUTTER DOG でスタート。歌詞は過去と結びつけ、自分が感じたいように感じ、喜怒哀楽をブートさせる。具体的な物事や記憶の輪郭を少しだけぼかして、誰にでもあてはめられるような言葉に置き換えられたら、それは多くの人が自分なりに受信できる「言葉」へ変容する。この歌詞もそう。自分の過去と現在に結び付き、たゆたう。

「普通、孤独は1人のものだと思いがちだけれど、私は孤独の最小単位は2人だと思うんです。1人よりも2人でいるとき感じる孤独のほうが何倍も深い。でも、2人でしかできないこともたくさんある。2人でいれば、可能性が放射線状に広がっていく。2人でいるときの1人のときよりも深い孤独と、2人でいるからこそ見ることができる「次」、その情景を書きたかった」

SANKEI EXPRESS 2013.04.07 本の話をしよう 「愛の夢とか」川上未映子

雨と風が鳴っているなか珈琲を飲みながら読む。頷いた。頭のもやもやをすっきり。言葉のプロ、物語を描くプロの力を味わう。

最小単位は2人。

ひとりでいれば孤独を感じにくい。感覚は孤独より孤立に近いんじゃないかな。ひとりの時間に培われた感覚や直感や、考えていることを、2人、あるいは複数の「円」へ運び込んだとき、孤独を実感できる。それは僕にとってネガティブではない。独我論の絶望(これもネガティブなニュアンスを持っていない)のなかで、自分が見たいものしか見られず、目の前にいてる人が、僕と同じものを見ているとは思わない。その様態を理解できたとき、健全な深い孤独がある。

健全な孤独から他者への関心がはじまる。なぜ同じ世界を見ていないのか? 素朴な疑問。

素朴だから解き方がわからない。どこから解けばよい? 解はそこらへんにころがっていない。ならば書を頼りに知識の空間へ足を踏み入れる。そこは他人の世界である。歌詞と同じく、一般化された事象を自分なりに解釈して納得する。納得できなければ、空間の奥地へ進む。他人の世界の奥地へ進む。納得できるまで。

他人の世界の奥地へ進み、あちこちに立てかけられている道標の前に立つ。道標は知識であり、知識は思考の種子だ。種子が欲しくていまだに彷徨うけれど、思考は名詞なんだ。

IDEOは動詞を観察する、という。人や物を観察するとき、名詞ではなく動詞を観察する。

近江神宮

考える。動詞だ。考える、ことは他人の世界の奥地にある道標を拾い集めず、自分の世界に道標を立てていく行程だろう。自分の世界の道標は、自分の世界でしか通用しない規則や言語がある。

二人が見ている景色が違う。そんな実体へ素朴な疑問をぶつけ、疑問を解くために「自分」へ突き進む。自分だけの規則をつくり言葉を組み立て、自分だけの景色を描く。その空間に果てはない。でも、果てをめざす。

果てをめざしていくなかで、「自分」そのものへ疑問を持つ。少しずつ少しずつ「自分」へ膨らむ不思議。

いまはわからない。感触としてつかめているだけ。僕の土壌に五感の種子を蒔いて「考える」なかに「自分」があり、「自分」がどんどんわからなくなっていけばいくほど、「他者はわからない」ということへの不思議さは薄れていく。