diary

同じ「コト」から差異は生まれる

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2013.04.10 晴れ

[youtube:http://youtu.be/bG8PTN9MAMg]

MONGOL800 with SOFFet – ひとりじゃない でスタート。語感とリズムがやわらかく、歌詞はキュンキュン刺さってくる。これ、恋愛じゃなくても、いろんな対象があるんだと思う。ほんと、歌をつくるってすごい。

ネットで話題になっていた 2013年度入学式 諏訪学長による式辞 を読んだ。うわぁ、これだ!!って感じだ。自分の語彙は少なすぎる。こんなふうに「経験」について語れたら羨ましい。いつも自分の頭の悪さを呪う。こればっかりはどうしようもない。脳みそをこねくり回しても明日からすぐになめらかに思うがままに話せるわけない。頭の悪い自分と気長に付き合っていくしかない。

私は、自分が「経験」という牢屋に閉じ込められていたことを理解しました。

「経験という牢屋」とは何でしょう? 私が仕事の現場の経験によって身につけた能力は、仕事の作法のようなものでしかありません。その作法が有効に機能しているシステムにおいては、能力を発揮しますが、誰も経験したことがない事態に出会った時には、それは何の役にも立たないものです。しかし、クリエイションというのは、まだ誰も経験したことのない跳躍を必要とします。それはある種「賭け」のようなものです。失敗するかもしれない実験です。それは「探究」といってもよいでしょう。

「経験という牢屋」を恐れている。「仕事の作法」が機能している状況に満足する。仕事の作法を培ってきた能力と履き違える。勘違いは傲慢を言動に宿して端々に現れる。

同じ作業を繰り返す、毎日。とても大切だ。同じ繰り返しから小さな変則を見つけられる。微少の変化。想像すれば、毎日、同じものを食べたら、その日の体調によって味が変わるんじゃないかな。

同じ「コト」を私に合わせない。私から同じ「コト」に合わせていく。

同じ「コト」をこなしていても、精度と基準が曖昧ならば、「コト」がおかしいのか、自分が不安定か判別しにくい。料理すればわかる。難しい。レシピが揃っているのに、行程の狂いが、結果の差異を生む。

苦しみ悩みながら料理家がつぶやいていた。同じ味に料理できるようになっても、今度はレシピを作成するのが難しい、と。各家庭によって使っている器具や火力などが自分の環境と違うから、何に照準を合わせてレシピを作成しようか難しいらしい。

皇子山公園

同じ「コト」の繰り返しは難しい。なのに、同じ「コト」に近い状態で安心して「コト」を丁寧に扱わなくなる。「経験の牢屋」に入り、仕事の作法のようなものが有効に機能しているシステムに安住する。

ほんとは同じ「コト」ではないんだけど、同じ「コト」をこなせているように自分を錯覚させて納得してしまう。微細な変化、微妙な進化、微少の劣化を捉えられない。

クリエイタは十人十色のリズムを営んでいる。興味深い点がある。十人十色のなかには、規則正しい生活と習慣化されたタスクが創造をもたらす、と指摘する人たちがいる。

何もできなくても特定の時間帯に毎日3時間座るや、午前中の数時間だけ執筆するとか、就寝と起床の時間が一定しているなど、生活と習慣にまつわるエピソードが多い。

靴磨きが好きになった。いつからかまったく覚えていない。靴を磨いていると落ち着く。行程が安定しない。どうすれば靴がきれいになるか試行錯誤の連続。あーでもないこーでもないの独り言。コロニルの量や磨き方、磨く手順。手の力の入れ方。まず「同じ」にしていくそのものがわからない。毎回、発見がありとても楽しい。

同じ「コト」というテーマについて誰かと話すだけでも、思いがけない内容へ発展するのでは?

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