diary

語彙を食べて知識をダイエットする

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2013.04.14 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=Nv-HdZmmIsE]

ザ・コレクターズ – 世界を止めて でスタート。関西のライブでこれを聴けるとやっぱり嬉しい。ヘビーローテーションの時代へ一気にトリップして過去とまぐあい、現在の分岐点、「もしも」はどこにあるのかややアンニュイで、箱のなかでビールをぐびぐび。

それなりに「スペース」はできちゃったけど、自分的にはほどほどスペースあるほうがカラダゆらゆらできるから楽しい。今回のライブもよかったー。

金曜日に資料が届いたので入力に追われる週末。入力違いに周囲を払って集中する。常時接続人間から常時非接続人間へ、とさえずった。

さらに………. 常時非接続のなかにいたら、顔から太陽よりも熱そうなものがでるぐらい恥ずかしい言葉が生成されて、それらを捨てたらあかんし、丁寧に育て、心の 抽斗へしまい込み、気持ちの衣替えとあわせて時々ドキドキしながら贈り届けたいんやなって感じたミナミのライブ 、とさえずる。

言葉が生成される。ただしまだ自分だけが理解している状態。もしくは言葉はばらばらになっていて、頭のなかのイメージに合わせられるような言葉をばらばらのなかから拾い集めている状態。誰かに届けられる形になっていない。

あることを説明するとき、語彙を駆使して相手に理解してもらえるよう努める。語彙を組み立てても説明できないときがある。

組み立て方を変えるが相手も私も頷けない。語彙の組み立て方が間違っている。語彙が足りない。新しい朝、ならぬ、新しい「語彙」を獲得して新しい「組み立て」を発見しなければならないと思う。

コレを書いているコトがそう。意味不明なままキーボードを叩いている。浮かんだ単語をつなぎ合わせているだけ。頭のなかにある映像や残像、画像、単語などが、どんな過程を経てひとつの意志、意見に形成されていくか、を説明できない。

大阪城

ワカラナイを伝達する難しさは、このへんにあるんじゃないかな? 誰かと話しているとき、プログラムのエラーと同じように伝達してくれたらありがたい。あっ、わかってもらえなかった、ってはっきりする。目の前の人がいかなる理路を辿って会話を理解しているかなんてわかるわけがない。

ワカラナイを伝達してほしくても、何がワカラナイかワカラナイ、ではなく「私がワカッテイル点を他者はワカッテイナイと認識している」事象もある、と推量する。

私が理解している点を、他者は「あなたは理解していない」と認識している。そういうとき、「ほんとう」に理解していない、みたいなコメントが付与される。この「ほんとう」がホントやっかいだ。

他者に対して私と同じ理路を辿って理解してほしいって期待はない。まったくない。どうにかこうにかして他者が持つ自身の理路を辿って、私が希望する着地点、待ち合わせ場所の「近く」まで到達してくれないかなって淡い気持ちを抱いている。限りなく淡い気持ち。

自分の知識を増量させたい動機で語彙を獲得するより、他者の理路を知りたい動機で語彙を獲得するほうが、語彙の拡張性が高い、みたいな印象があり、使い回しがきくと思う。

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