dogwood
diary

他者から託された脚本が日々の営み

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2013.05.01 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=yWCE_hUj7h4]

→Pia-no-jaC← – 台風 でスタート。昨年、知ってすっかりはまってしまったインストゥルメンタルユニット。ライヴに行ってみたい。部屋でアルバム流していてもゾクゾクするんだから、ライヴなら…..なんて言わずもがな。

長い年月、たくさんのひとが通り過ぎていく。時に立ち止まり、時に寄り添い、駆け抜ける、気づかなかったり、あらゆる方へ通り過ぎる。

日々の営みとは、通り過ぎてゆくひとから脚本を託されて自分の台詞を書き込み、私の舞台を最後の最後までみてくれていたひとを探す(文法と時制がおかしいと思うけど)、コトかな。探し続ける。私と最後の最後までみてくれたいたひとの間に広がる時空に囚われずに。ひょっとしたら遠い場所にいるかもしれず、とても近い所かもしれない。

もうひとつ、誰かの舞台を最後の最後まで私がみる。こちらは日々の営みの彩りを豊かにしてくれる、滋味にあふれる。

なにかをつくるとき、ぼぉっとする時間がいる。ぼぉっとしているようで実はしていないみたい。何も浮かばなくても机の上に座るのも大切なんだけど、フライパンで炒めものしているときや、散歩しているとき、写真を撮っているとき、トイレのなか、とかで、集中しているようで集中していない、片手間になっちゃいけないんだけど、ついついなってしまうような時間と空間にいると、頭の片隅で置いているコンテンツにまつわるアイデアの輪郭がハッキリしてくる。

いまだとあるコンテンツを頭の片隅に置いている。待合室にディスプレイするコンテンツとウェブサイトの内容。ウェブサイトと待合室とチェアの3点を連動させるコンテンツを試みている。

3点が重複している情報としない情報、3点の情報が見られる場所や雰囲気などを想像しながらスライドの順番やウェブサイトに書く文句、写真を練っている。

頭のなかで浮かんだイメージをタイプしていく。もちろんうまくいかない。頭のなかのぼけた輪郭を書くことでハッキリさせていくと「言葉」で理解していても身体は追いつかない。

タイプするだけして、またぼぉっとする時間と場所をつくり、タイプした情報を編集する。それの繰り返し。

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