shrine

肉体は老い身体と心は進化する

2013.05.07 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=9cRbRE9sS_s]

奇妙礼太郎 – California でスタート。ずっと聴いている。今日も舞鶴まで連れて行った。奇妙くんはライブでアレンジするからCDとまったく異なるしそれぞれのライヴでも違う。先日、SNSでトークしながら頷き合っていた。6月のソロライヴ。カフェでのライヴ。いまからドキドキワクワク。

5月、5月?! 肌寒いより寒い。立夏、暦では夏の始まりだけど、今日の季節は春先へもどりたがっているみたい。人の記憶は過去に遡れても季節は逆再生できず、人の営みも季節と同じく直線と曲線と弧を描きながら漸進していく。

一本の桜の木。琵琶湖疎水に咲き乱れる桜から意志を持って離れているかのように存在している桜の木。ひとりで見に行っていたのに、今年は見に行かなかった。ものすごい悔やんでいる。久しぶりの大きな大きな後悔。

来年も見られると思わないようになりつつあり、絶景と観光地に関心は薄れていくが、半径1km内で繰り返されている自然のプログラムを見ておきたいと感じはじめている。あとは、どうしても行っておきたい土地がひとつあり、そこだけは何があっても必ず行くと決めているし、決めているだけではなく、思い立ったらすぐに行かなくちゃいけないよ、と自分に毎日言い聞かせている。

shrine
*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

朝から舞鶴へ。道中、奇妙くんをずっと聴いていた。 “二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)” 谷川 俊太郎 をぱらぱらめくりながら目に入る文字を追いかける。追いかけて、顔をあげて車窓を眺める。詩と車窓を行ったり来たり。山間の緑のグラデーションにフジが単色を彩り、場違いか溶け込んでいるか、自分には見分けがつかない。この情景を言葉にする人はどんな文を綴り、絵にする人は何色で、写真を撮影する人の構図はと空想して、何もしない人は何を感じるのかな、つらつら緑と紫はスライドする。

15:30すぎに終わり、亀岡まで移動。帰りの道中、仕事と四方山がクロスした会話は車両の進行と合わせるかのように前へ前へ。会話の時間軸は季節と同じく、直線に進み踵を返さない。できごとを語る時制は過去であるけれど、話の意図が向かう時制は未来。

18:00から久闊を叙する。5人が集まり今と昔を行ったり来たりする。周りの方々の話を伺い、自分の役割を見つめ直す。お相伴に与りながら、成功へ近づきつつある人たちを前にしたときにうろたえる私を認識する。平常心からはまだまだ遠い。

今より昔を語る質量が増加したとき、人は自分の年齢を数える。もう少し経てばからだの話が質量の中心を占め、病と健康の単語の使用回数が45度以上の直線を描く。

肉体は老いる。身体と心は進化する。そんなイメージを持っている。年齢より鮮やかに演出するために肉体を手入れする。大事なことだ。ただそれに苦心するあまり、身体と心が退化してしまったとき、動く塊になるかもしれないと怖れている。