diary

とがった部分とやわらかい部分と

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2013.05.23 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=FrpxaS-eqOI]

orange pekoe – ソングバード でスタート。久しぶりに聴いた。やっぱりやわらかい。「目に見ている 見えないこと かたちではなく感じている 確かなもの 優しい手触り、君に向けて 伝えたいこと」って感覚、どんな関係でも大切にしたい。かたち、にしなければならないんだけど、その前にある”たしかなもの”を希求する感性っていうのかなぁ。

二十四節気の小満を耳にして、通りの影の具合を目にして、部屋の窓から日の出の力強い陽射し。第二十二候、蚕起食桑。旬のさかなは岩魚らしいが、夕食に何気なく食べるような魚ではさそう。先日の先輩方と食事したとき、みなさん鮎を召し上がった。私は遠慮しした。鮎を上手に食べられない。手順は理解しているつもりでもいざ箸をさしこむと鮎はイヤイヤするみたいにくずれこわれる。なんだか、食すことよりも鮎をほぐすことに心が奪われるので鮎そのものを楽しめない。残念な自分。

四十も越えたら、知人、友人、友達、仲間、親友(はいませんが)やらの区分はできるだろうと思っていた。いまだにまったくできず。それらの呼称と関係の取扱説明書がいるようだ。

この間、ある番組を録画して視聴した。番組はドキュメンタリー。どこかの場所を3日間撮影し続けて、そこにある人間模様を映し出す。毎回、「どこかの場所」は変わる。録画したのは、大阪の「松葉」という立ち飲み串カツ。

大阪の地下にあり、法律上は道路らしいが、10人ほどが立ち並ぶとひしめき合うような狭いスペース、すぐそばには地上へあがる階段があり、ラッシュ時にはごったがえす場所。その階段から地上と地下へ往来すれば、必ず目にするけれど入ったことなかった未知の空間。

ひとりの女性を撮影していた。30代後半ぐらいかなぁ。一人でビールと串カツの映像をへぇーって見ていて、その後のコメントに大笑い。「女子会って何やねん!」って言いながらビールをぐっと飲んだ。画面に向かっての毒舌は、私には毒舌に聞こえず、おもしろそうな雰囲気を纏い、がんばっているからこそ心の襞に痛みを折りたたんでいそうな感じの女性。

私の友人(?! 知人?! 友達?!)は音楽やっていて(へんてこりんな表現)、10キロ運んで腰痛めちゃうので大丈夫か?って心配(笑)、話を伺っていると、感性や言葉のチョイスがユニークで、毒気がまじりそうなキワキワのフレーズが美しい容姿になめらかにとけこんでいる。画面の女性を見ながら、ふとそのひとの顔が頭に浮かんだ。(世間から見た平均的な見解としての)とがった部分とやわらかい部分が微妙な均衡を保っているから輝く。その輝きは万人に届くかどうかわからない。その輝きを運よく目にした人はずっと魅了される。そんな光と影をそなえた容貌と語感。

琵琶湖

光と影。それぞれがそれぞれの光と影を持つ。私の様態はそれらの光と影の見え方を変える。まれに光しか持っていないんじゃないかしらって羨んでしまう。そんな人いないんだけど光だけを放っているようでちょっと嫉妬して。こう書くと光がよくて影に芳しくない印象を抱いているみたいだ。本意じゃない。光のイメージをなんとなく固定してしまっている。

毎朝、決まった時間に起きる。今朝の陽射しを浴びたとき、自分のからだが陽射しに追いついていなかった。いろんなコトに追いついていない。焦りはない。よいのかどうか、わからないけど、焦っていない点はたしか。

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