もう満月みたないねん

2013.05.26 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=wlxlBEP3mPo]

ソウル・フラワー・ユニオン – 満月の夕 でスタート。

午後から三井寺で開催されていたアースディ*しが 2013へ。目当ては中川敬さんのソロライヴ。観月舞台でアコギ一本の弾き語り。全9曲。歌もトークもまるっごとステキだった。9曲どれも甲乙つけがたいけれど、やっぱり『満月の夕』で泣いてしまった。

関西ならもういまさらなエピソード(満月の夕 – Wikipedia)。1995年1月17日、満月だった。前日の月は赤かったともいわれている。中川さんは震災発生から1ヶ月後、長田区でライヴを開催した。そこへ来ていたひとが「もう満月みたない」とおっしゃったのを耳にして、ライヴ終了後、この曲を一気に書き上げた。10分ほどで書き上げたそうだ。

爾来、たくさんのアーティストがカバーしてきた。いま東北を巡っておられて、東北でも歌われているとのこと。

アコギでこの曲やるのははじめて、って笑っていた。弾く前の話を聞いているときからホロリ(何度か耳にしているのに)。自分は何ができる? 何をしてる? 何もしていない、苛立ちやら悲しみやら怒りともおぼつかない、よくわからない、ただ泣かないといけないように揺さぶられ、歌がはじまったらホロホロ。

物事を対象にしてしまうから泣いてしまう。そういう一面を完璧に否定できるか? 自分に問いかける。宮城県女川町に実在する「女川さいがいFM」から生まれたドラマ 特集ドラマ「ラジオ」 (06/02(日)再放送) の台詞、「被災地は映画館なんですかね? 感情移入はするけど関わり合いになるのは嫌なんですかね」 が、頭によぎる。

三井寺

文章や散文を書く。書かなければならないって感じで書いた中身は後から読み返しても響かない。何かは書いてある。文字が並んでいるだけ。しっくりこない。書いてあることと文体と自分、この三つが服のサイズみたいにピッタリでお似合いだったら、それは無我夢中でつくったカレーが奇跡的に美味しくて、なのにそれぞれの配合や材料を覚えていなくて、どうやって作ったのかすら思い出せず、だけどあの味は口の中で残っているような偶然だ。

いつもしっくりこなくてじれったくてもどかしいまま書いている。たぶん正常なんだろう、そういう自分が。

ただ、何かがあって、突然、頭のなかにぶわぁっと文字列と映像が浮かび上がって一気に書けるときがある。気の利いたフレーズはひとつもなく、事実と感情をそのまま描写して、わずかな衒いが残っている。エスプリを飾りたい欲求が見え隠れしている。あとから読み返しても響いてくる。

いっつも思う。ライヴだ。音楽だけでじゃない。ライヴ。ライヴで、その場で、ありのまま、思うがまま、ひらめいたままでよい。それぞれの人が自分のライヴに立つまでの沈黙の間、ふれてきたモノとコトがライヴパフォーマンスの源泉。