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眼と笑顔

2013.06.01 晴れ

[youtube:http://youtu.be/mW1uRZtc5TU]

PUSHIM – a song dedicated でスタート。巻く?! というか米語みたいな発音の歌い方って苦手なんだけど、これはまったく別物。歌詞と歌、両方が大好き。「君一人、この僕は 安らぎさえも手渡せないけど 力の限り この場所で 歌い続け 君に届け」の気持ち、ってあるよね。自分は言葉しか出力できない。その言葉ですら拙い。でも、辛くなったときはいつでも書いておいでよ、こっちもなんとか言葉にするから。どんな内容でも目にするのは嬉しいから、って気持ちへのアンサーソング。

第二十四候、麦秋至。「秋」を使う表現の深さ。深いけれど、実物の風景を目にしてこそ、その深さに感情の液体が注ぎ込まれる。そうでないかぎり、その深さは空っぽであり言葉の観念で言い表しているしかない。気をつけないと。

旬のさかなは蝦蛄とのこと。日生で一度食べてみたい。美味しいらしい。蝦蛄の寿司が好物である。日生では牡蠣も食べてみたい。青春18きっぷで行かなくちゃって思い続けて数年経過。だめなんだよ、思い続けても。重い腰をあげて行かなくては。生き急ぐぐらいでちょうどよいんだ。何がおこるかわからないんだから。

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*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

先日、中川敬さんのミニライブ(@三井寺観月舞台)で、眼と笑顔の力を体感した。主観以外なにものでもないんだけど、「眼と笑顔」の二つなんだね、人間を基底する要素って。

眼を見た時、怖かった。久しぶりに身震いした。でも、その怖さは人を刺すものではなく、いろんなコトを経験した人の底知れない深みみたいなものを表現する優しい怖さ。

「目が笑っていない」というのに二つあるんじゃないかって近ごろ感じる。ひとつは、ニヒリズムの笑み。冷笑したら自分が嫌われると自覚している人がひた隠しにして笑う。眼の運動量はゼロの笑み。

もうひとつは、露わにできるすべての感情を混ぜ合わせた、優しさと悲しみと尊さが絶妙な均衡を保っている笑み。眼の運動量は最大なんだけど、感性が乏しい私には笑っていないように見える笑み。諦観に近づきつつある笑み。

中川さんが舞台で笑ったとき、とてもとても羨ましかった。こんな素敵な笑顔のできる人間になりたいって心底感じた。どうやったらあんな笑顔になれるのか。体験と経験? 感情の爆発? 想像力?

体重計にのったら、54.2kg, 8.9%。たぶん嘘だろう。そんな感じがしないでもない身体。なにもしていないのに痩せていくというのは、自分のなかの何かを削り落としている。それが必要なものでないことを願う。