自立は折れる自律はたわむ

2013.06.08 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=p1oC5NxzVdg]

dorlis – 太陽のスキャットでスタート。音でウキウキ。楽しいような切ない気持ち? で歌詞を読む。音の中からすっと耳に入ってくる単語が心地よい。目一杯歌詞に耳を傾けず、耳がどの単語を拾うか楽しんでいる。

麦秋至や芒種。麦を表現する時期、近江八幡での刈入れを読む。大阪では紫陽花を目にする。梅雨は本当か嘘かどちらでもかまわないのに雨露が乗っかった紫陽花がやっぱり紫陽花だと欲しがる。意識への刷り込み。

営みのなかで人々は通り過ぎる。私も誰かの営みを通り過ぎる。通り過ぎる人の数は運と行動力に比例するが、立ち止まる人の滞在時間は運と命がけだろう。

通り過ぎ立ち止まる。選んだ役割と委ねられた役割がある。前者を演じて後者をこばむ。反対の演技もある。両方とも演じられる才能を持つ人たちも。

寝ている時をのぞいた時間。意識ある時間。演じるコトにはまりこみ、濃密な場所と演技がぴたりとあてはまる。演じているのかどうかわからなくなる。演技と「自分」のかすかなずれを感じて戸惑い、また場所へ向かう。場所からやすらぎの私空間へかえってきても演技の熱量はへらない。服を着たまま海へはいるみたいな違和感。

我慢か鈍感か。ここで何度もふれている「ほんとう」への強い願い。ほんとう、への願いが演じるコトと自分のズレへ招待して舞台のほころびを指さす。

ほんとう、への感覚を鈍くする。いつかたどりつくと我慢する。必ずあると信じて演技の質をさらに磨く。どの場所にいるときに演じて誰といるときに演じているかの組み合わせは果てしなくシャッフルされて、もうどうてもよくなったら「ほんとう」は扉の鍵をわたしてくれるはず。

グリーンファンダジア

不断はだらしない。そう受けとめられる。煮え切らない。そのとおりだ。だけどひるがえって、断定しているコトをひたむきに睨みあったら、自分への納得がふくまれているはず。自分を納得させたい理由を探すための断定。

わからないおぼろげな薄い膜が自分を覆う。不安。不安はいらだちとつながり、いたたまれない。「わからない」という席から立つ。

自分を覆う膜を取り払い、すっきりした世界をみたい。あるいは相手から煮え切らない私と断定されたくない。そんな衒いを少しずつ減らす、ためらいといっしょに。

自立は強く、自律はしなやかだ。自立は促されて、自律は促されない。自立の強さを支える心は折れる。自律を支える心はたわむ。折れた心をつなぎあわせる確信はないが、たわんだ心をまたひらたくしていける豊かさは身につけたい。

たわみをすっと押し返してひらたくしていく作業に手をそえてくれる人。ひとりいれば充分だ。とても贅沢だと承知している。その一人の滞在時間が私の価値。