嘘と虚構と現

2013.06.10 晴れ
http://www.youtube.com/watch?v=AbbBK7HeCBQ

The Miceteeth – レモンの花が咲いていた でスタート。わざとはずして歌ってるの? って勘ぐってしまうよね。上手下手に関心ないからOK。なんていうか、ライブパフォーマンスっていうぐらいなんだから、「表現」がすべて。舞台の表現が自分に響けば、自分が気に入れば、周りが何を評論気取ろうがお構いなし。レビュアの文章読んで本買うのってあんまりしたくないから。

第二十六候 腐草為蛍。湿度が高くなる。蛍が舞う。守山では美しい風景が見られるらしい。一度行ってみたい、という口癖は控え目に。行ってみ「たい」から”い”を取りのぞかないと。そういうことを意識して丁寧に営む道にさしかかっている。

旬は伊佐木、縞鰺。いまや魚もファスト。”ファストフィッシュ”が貼られる。調理しなくてよい魚。魚、といってよいのかためらいつつ。レンジでよろしく、フライパンでアレンジでもどうぞ的。

近所のスーパに限ると、魚を買う人が少ない印象。新鮮でないからかもしれない。そういえば開店してすぐの7:30ごろにいったとき、産直の魚は確かに綺麗に見えた。目利きできるわけないから、「あっ、きらきらしてる」って単に感じた程度。ああいう魚が常に並んでいたら買うだろうか? そんなことをつらつら思いなが売場をぶらつく。

部屋から見える紫陽花の風景が日に日に変わる。驚くばかり。自然の精密なプログラム。指示されなくても法則に従って自律プログラムが機能している。雨が少ないのにどうなってるんだか不思議だけど、数日、目を離せば、変化した形に記憶が追いつかず、あわてて書き換えている。

書店で “子供の科学 2013年 07月号 [雑誌]” 誠文堂新光社“集合知とは何か – ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)” 西垣 通 を購入。Kindleで“「いいね!」時代の繋がり―Webで心は充たせるか?―” 熊代 亨 を購入。

琵琶湖

人は最初に自分に嘘をつく。嘘とは言えない微細なごまかし。日々の私が私を見失わないための栄養補助食品。それを嘘と呼ぶか否かが、感情のきめ細かさを判定するリトマス試験紙。違うかなぁ。それだと「どっち」かだけになっちゃう。

ほどよく摂取していれば効果を期待できる。過剰摂取は何かしら害を与えかねない。嘘と言いにくい自分につく嘘は、嘘自体が嘘になれてしまえば、自ら嘘か真か判別できなくなる。周りに害を与えかねない、と思ういつつ、ひょっとして嘘と真の淡い交わりを巧みに操る人なら周りに害を与えなかったりして?!

事象の50%以上を嘘で繕えば嘘臭い。95%以上は真、残りの5%以下の隙間に嘘を挟み込め。そしたら嘘は消臭されそうだ。

書きながら思いつく。嘘と虚構の差異は何ですか?

有名人を好きになりすぎて、もうどうにもならないほど好きで好きで、すでにその有名人と自分は結婚して、生活して、子供がいて、とかまでリーチした人が世間にいらっしゃっても嘘ではない。平均的な営みからわずかにはずれてマイナな方向へ進んでいるだけだ。誰かに危害を加えてなければ、として。

そういう場合、自分に嘘をついているの? その生活は虚構?

さらにモノローグから脱皮して手紙を書き、私にはあなたの子供がいて名前は某で大事に育てています、な内容を送ったら、この際、受け取った側の反応は無視するとして、嘘か虚構か現実?

気になって検索したら、“文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)” M・スコット・ペック のがあるのね。

シンプルな単語ほど、数千年前から人を引きつけてきただな、きっと。