気になる気になる気になる他者評価

2013.06.17 晴れ時々曇

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=LLdTcr98fSs]

Gabrielle Aplin – Panic Cord でスタート。叔父さんの部屋に忍び込んでステレオのレコードをヘッドホンで聴いていた、10,11歳の音楽デビュー。ビートルズとフォークソング。やっぱりはじめてちゃんと耳にした音楽の影響はいまでもあるようで、フォーク系の音にめっぽう弱い。これもお気に入りのひとつ。

第二十七候、梅子黄。多種多様に利用できる梅。umeと打って変換された漢字を目にして口中の唾液量が0.1%増加しそう。旬のさかなは海鞘。こちらでは珍しい?! 口にした記憶がないかれどどうなんだろ。食べたのかなぁ。

もう一つ、海胆。いつの間にか好んで食べなくなった。たぶんにおいだろう。新鮮なものを食べていないのもある。ただ海胆だけでなく口にしにくくなった食べ物は他にもある。においに対する耐性が変わったみたい。

“好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび” R.D.レイン は早く読みたい一冊で、題名を剽窃させてもらい、気になる?気になる? とっても気になる? 他者と私の評価、が浮かんだ日。そんなに気になる? 他者評価が?

以前なら不愉快になって自分の機嫌を損ねた問いかけ。そんな問いかけは突然やってくる。そして問いかけは言葉だけ残してそれ自体は消える。言葉は意味をつくる作業を強いる。ひとり以上ふたり未満のあいまいな作業だけが心の空白を埋めていき乱れる。

いまの私は乱れない。乱れにくくなった。ゆれ動かない、ゆれ動けない、それがよいかどうかわからない。大勢や多勢に関心を持てなくなっている証左。脳と心の老化は否めない。

わかっていることはひとつ。残された時間、あるいはどれだけ残っているかあきらかでない時間を営み、自分と向き合う密度が高くなれば、不愉快になる時間がもったいない。

自分の「なか」に留めたい、留まってほしい人がいる。少ないけれどいる。その人たちに対して感情が揺さぶられ内省していく。それはかけがえのない時間だ。時と場所を惜しまない。

誰かが私の言動を垣間見たとき、まったく理解できないとその人は受けとめる。よくあるはず。反転させる。私も理解しがたい誰かの言動を目にする。「わかりあえないこともわかってください」とある芸人さんは大阪市長にさえずっていた。そのとおりだと思う。

「わかりあえないこともわかって」いれば、他者への想像力が育まれると思う。”私”への評価、気になって気になってしょうがないその評価について誰かに尋ねる行為は減少するんじゃないかな。

他者から私はどう見える、が気になりすぎるあまり、私は他者をどう見てる、が全身からアンインストールされている。

自分を慈しみ慰め労りたい気持ちが強ければ強いほど、他者からの評価を気にしない。

他者からの評価を気にせず、”私”を紆余曲折しつつも自ら盛り立てている(ように見える)人は素敵。言い切る、例外なく素敵。変梃な立ち居振る舞いでも素敵。ほんとに羨ましい。

京阪石山坂本線 三井寺駅

違いを自覚する。自覚はむずかしい。自覚のプロセスを学習したい。認知を専門家から教わってみたくなる。

小雨の紫陽花をファインダから見つめる。紫陽花と私は違う、皮膚感覚。その感覚を他者に持てるようになるまで「自分」と向き合う。

朧気な輪郭。矛盾が内包されているような直観。わずかな数でも他者に強い関心を持ちながら、違いを自覚する努めは両極か中庸か。あるいはまったく異なる階層か次元か。

木のベンチへそそぐ光と影。見る。見つづける。不安定な影の濃さ。変化の連続。一瞬の安定。濃くなり薄くなりまた濃くなり薄くなり、やがて光に溶けるように影はなくなる。3次元から2.5次元な感じの風景。太陽のほうへ顔を向けたら大きな雲。

太陽と光と影。三つを記述できない。知識を持っていない。理解していない。知りたい衒いと知らなくても営める安楽、そのバランスすらもとらずにやっていける日々。