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季節が四季を先取りしそう

2013.07.08 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=7E7e2gDZ568]

奇妙礼太郎 – 赤いスイートピー でスタート。ライヴでこれ聴くと震えがとまりません。条件反射のように涙腺がこわれます。この間、NHK-FMのライブビートに出演していて、その時も歌っていた。再放送も聴いた。2回とも条件反射。なんだろね、ほんと。どの記憶とリンクしているか自分でもよくわかっていないけど記憶の映像と過去の言葉と奇妙くんの声と歌がシャッフルされて全身に再インストール。

二十四節気、小暑。第三十一候、温風至。梅雨が明けたのか、明けるのか、気にならず、酷暑到来。京都では祇園祭、鱧祭り。野菜は獅子唐辛子、ロシアンルーレットよろしくたまに辛いのに当たる。

富士吉田市が配布している観光地図って南が上、とNHKの番組で知った。おもしろい。富士吉田市ではどこからでも富士山が見えるから、北極星のように富士山を目印にしている。方角は南。富士山の方角へ地図を合わせせて場所を確認する。

そこで育った子供は、南が上の地図を受け入れている。地域の人々もそう。そこがとてもおもしろかった。人と環境が相互に作用してつくられた知識。こういうのが文化の土台なんだろうな。ただ最近は北が上の地図を配布しているとのこと。やっぱり他府県の人は見にくいのかも。

“その日本語、通じていますか? (角川oneテーマ21)” 柴田 武 で方言にまつわる話がある。方言の豊かさについて触れられている。そういえば、先日、”ずつない”とSNSで書いたら意味を尋ねられた。似たような意味を何というのか教えてもらった。そっちの言い方の方がはるかにうまく表していておもしろかった。

“「食」の課外授業 (平凡社新書)” 西江 雅之 は、「食べ物」の深遠を教えてくれる。「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部であり、食べ物は文化だ。先進国のある地域では、1世紀前では酢で煮たゴキブリを潰してペースト状にしたものをパンに塗って食べていた(同P.31)そうだ。驚くよりも腰を抜かす。

方言や食べ物は文化だ。文化の豊かさや異なるものが多いさまを人々は認める。なかには認めたがらない人もいるだろうけど、マジョリティーは認めているんじゃないかしら。

ところが、私の利害が関係するとなるとそう簡単ではない。地域や家の風習など構成単位が小さくなるにつれ、行動様式は認められにくくなる。私に利害が及ぶからだ。我が儘である。文化と人の行動を比較するな、と反論されると思うが、やっぱり我が儘だと思う。

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*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

仮想現実と現実の言動は違う、関心は異なると言われる。そうのとおり。SNSの罵詈雑言を垣間見たらそう感じる。今だと選挙の話題かな。現実の報道とSNSの関心にはずれがある。

一方でそれほど変わらないこともある。どちらの現実であっても変わらない風景はある。大きな声で口にする言葉ほど実行されにくい、という風景。時に言葉は心を隠す役を引き受ける。

“多様性”と口にすれば不寛容であり、”折り合える”と大きな声で語れば妥協しない。口から理想が語られ、体は現実的に動く。

しつこく備忘。私は我が儘。自己の基準は相対的。私の基準は普通だと頑なに言い張っても、誰かが我が儘だと思えば、少なくともその人は我が儘として捉える。だからといって、万人に合致できる基準はないんだから、自己の基準をいちいち測り直していたらきりがない。埒が明かない。

絶対的な基準はないと言って相対的な基準を設定しているつもりが、実は絶対を基準にする。これを頭の片隅に置いておきたい、いつも。