Lake Biwa

嫉妬はとろり、焼き餅はさらり

2013.07.10 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=nsyK9_iaCoA]

Hot 8 Brass Band – Ghost Town でスタート。すっかりお気に入り。07/09(火)、スカパラのUst配信(ライブ生中継)を視聴。その場にいてこそのライブ、でも視聴できる時代になった歓喜。Hot 8 Brass Band のライブを見たいなぁ。

08:00すぎに大阪へ出発。2ヶ月ほど前から毎水曜日、大阪へ行くようになった。F先生とスタッフとでミーティング。ふだん乗らない時間帯。ラッシュアワーは己の役目をこなしてあと少しで一息つけそうな時間帯。それでもいつも乗る列車と比べてたら乗客は多い。人のふるまいや車内の匂い、風景が異なる。

スマートフォンな人、新聞な人、読書な人、化粧な人、スヤスヤの人、不慣れな人、人、人々。一目でわかる動きと裏腹の心。車内を見回してたまーに浮沈する心思。乗客が沈黙した言葉の総数や脳裏に描いた映像の総量はどれぐらいあるのやら、この車内のなかは何色あるかな、など。

もっぱら読書。文字との相性がさっぱりだめなら車窓と空想、徒然。

大阪環状線に乗り換え。最寄り駅ひとつ手前の駅で降りる。いつものように歩く、歩く。駅を降りた途端、出番待ちしていた汗が勢いよくステージにあがる。待ちかねていたらしい。徒歩20分、汗感覚40分、空想60分。

F先生とのミーティング。メタメッセージを一つ二つ発信。伝達できても伝わっているかどうかわからない。それでよい。自分の意思に従ってタイミングを計って口にした。無理矢理結びつけたちぐはぐなしゃべりは、わざとらしさと仲良くミーティングの空中を散歩した。しゃべりながらそれに気づいた。けど、もうそれでもよいやって感じ。

Lake Biwa
*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

俳優の対談映像で耳にしたことを反芻する。嫉妬のような気持ちについて。

共演者と熱演できたとき、一体感のような信頼感らしき感覚が生まれる。毎回誰とでも生まれるわけじゃない。身体感覚が共鳴して感じる、と女性がしゃべっていた。

制作が終わって、共演者が別の作品で誰かと演じている姿を目にする。身体から伝わってくる「何か」を見る。彼女との共演よりさらに強そうな一体感、信頼感、あの感覚を彼女は感じ取る。

そしたら嫉妬みたいなのを覚えるそうだ。3人での対談、残りの男性二人は同時に「わかる!」と膝を打っていた。

“嫉妬みたいな”質感を対談から掬い取れないけれど、皮膚でわかったような。わからないような、わかるわけないような、わかりたいような。わかるとわからないを鉢で擂りつぶしたくなった。

嫉妬と焼き餅。嫉妬はとろり、焼き餅はさらり。私の中のイメージ。どろりまでいかないとろり。ざらりではないさらり。

私は誰かの幸せを望む。幸せ、だと照れが残る、否、大仰すぎる。もっとライトな感じ。誰かが日常を楽しんでいるかなって思い巡らす。そして誰かは日常を楽しむ。私はそれを見聞して充分のはず。

なのにどこかにある焼き餅。心で餅を焼いて、頭が食べる。誰かの喜びに関わっていない自分、そこに自分がいないコトを知覚するからだろう。願っているのに焼き餅なんて奇妙な感覚。恐ろしいまでの狭小な度量の私。

おとなげない。子供っぽい、と言えば子供に失礼ですよ。なんで子供っぽいのではない、おとなげない。狭小な度量を広くしたい。それと引き替えに鈍感になるのは御免だ。

どこまでも願い、いつも願う。お裾分けの喜びと楽しいをこちらも味わい、そこに自分がいないコトを素直に引き受けられるしなやかな心。

嫉妬も焼き餅も大事。どろりざらりしたものでなければ生活のスパイスになる。自分を健全に進化させる感情のひとつ。少ない感情で心身を安定させるより多彩な情感で不安定なほうを選ぶ。それぐらいでないと誰かを想えない。