しっくりこないのも時折選んでみよう

2013.07.12 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=Dd2KadDRduY]

bonobos – の言葉、あの光 でスタート。久しぶり。「ずっと ありふれた言葉にだけ 今も生きている魔法 わけてもらったのさ」の”にだけ”にざわざわ。なめらかでするり入ってくる歌詞があり、はじめから心の密室にあったのに使っていなかった私の生地を取り出してくれる、歌の言葉。

第三十二候、蓮始開。闇の中でひっそり開く蓮の花。闇から現れておやつまでには閉じるプログラム。自然のプログラミングは緻密で神秘。色彩の階調を写真にうまくおさめられず悶々としたな。

旬の魚は鱸。旬の魚や野菜、果物を知らない。少しずつでも覚えて微妙で微細な変化を感知する受信機をつくりたい。まずは感性の部品を集めんとね。

“子供の科学 2013年 08月号 [雑誌]” 誠文堂新光社 を購入。付録は恒例の自由研究。研究と勉強の違いを教えてくれる。「なぜ? なぜ? どうして? 」のコーナがいつも楽しみ。唸った質問は二つ。「どうしてクモは糸に引っかからないんですか?」と「なぜかみなりはゴロゴロピシャンと音がなるの?」、おぉぉぉ。

子供の科学の質問から教えてもらえる視点。そんなところを見ているのか、と。すばらしくて、うらやましい。

視座と発想。

2つを携えてぐるり周りを眺めたらおもしろいことに満ち溢れている。きっと。そう感じる。まだ携えられていないから想像なんだけど。

おもしろく不思議なコトやモノを教え導いてくださる人はたくさんいる。ひとりでわくわくする、周りの方々と発見する、誰かと言葉を交わして感性と語彙を拡張させる、いずれであっても自分がしっくりくる様態を選べばよくて、しっくりこないのも時折選んで自分をちょっぴり緊張させてやるのも刺激的だ。

びわ湖大津館イングリッシュガーデン

規矩が浮遊。声高に語らない、口角沫を飛ばすわけでもない。専門家は制度や法律を解説してくださる。思想家や評論家はそれらの背景を説明する。昨今、語る人は数多いる。その領域に自分は足を踏み入れなくてよい。

人の生まれや属性、身体の障害に対して、私はどう向き合っているか。

人の生まれや属性、身体の障害を一切拘泥せず、一人の他者へ敬意を払う。寄り添う。立ち居振る舞いがどう考慮してもおかしければそう伝える。そんな規矩を私の中で育てたい、育てているか、自問。

昔の人より現代の人が優れているわけではない。だけど現代の知性が先人の誤りを繕う。それが先人への恩返し。人の生まれや属性、身体の障害が制度によって制約を受けたり差別されることがあってはならない。現代の知性が訂正しなければならない。十全な訂正でなければ未来の知性がまた修正する。

ナイーブな平等を唱えたいのではない。異を唱える、憤ると同時に、否、それよりもそれよりも私が我が事として想像するんだと思う。思い巡らせなあかん。

眼前の人の事実を受容して、世間の目差しや法律や制度、常識(なんてまったく興味ないけれど)に惑わされず、一人の他者へ全身で接する。

そんな規矩を持ちたい。育てる。振る舞う。