diary

迷路の扉を開く、彷徨、狂う方向感覚

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2013.08.05 晴れのち夕立 京都駅浸水

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=cYF0qU5WSew]

Feist – Mushaboom でスタート。Feist が琴線に触れる。思い当たる。古いアルバムをめくっているような尻の穴から入って鼻腔からにゅるっと出て来そうでむず痒い、痒い。

目が覚めてカーテンを開ける。陽射しも起きたばかりか。昨日までと違う質感が身体を縦断した。気になって調べる。04:40頃の日の出から毎日1分刻みで遅くなり、今日の日の出は05:09だった。

物理法則をわずかでも感じられたせいか、ちょっぴりの嬉しいが一日の始まり。気づくの遅かったかもしれない。でも自分を楽しませるには充分だ。

どうにもならないことが五臓六腑にしみる。このしみるは染みる、沁みる、滲みる、のどれだろう。どうにもならないことだと頭がわかっていても身体は拒む。理解と拒絶のクレバスに落ちないために梯子をかけようとして足掻く。

相手がいて成立することや独りでも成り立つこと。両者を仕訳できず混合した事象と混濁した思考が昏迷して、どうにもならないことをどうにかする迷路の扉を開く、彷徨、狂う方向感覚。

朱と青

ETV特集『人を動かす絵 田中泯 画家ベーコンを踊る、でフランシス・ベーコンの絵を目にした。日曜美術館の「恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコン」と「浜田知明」の回をまた視聴する。

絵画と版画。二人の表現が私の中で重なる。交錯、重層的。ざわざわする感じ。

肉体から体を引く。歪形の肉。ざわざわさせる。言葉にできない、してはならない痼り。

『初年兵哀歌』シリーズ。目をそむけてはいけない光と影の二次元。ベーコンが描く口の叫び。見る側が勝手に相貌を補正する。

身体があることがあたりまえであり、動いている身体は音楽を聴くよりも日常に溶け込んでいる。絵画と版画が表現する喪失した身体は私の視覚を刺激して、五感の輪郭をひろげる。あたりまえが壊れる。

壊れたあたりまえをこれから繕う。繕いから生まれる。

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