diary

驟雨は洗えず比率は変わる

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2013.08.06 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=DV8PoUWQ5tc]

Bebel Gilberto – August Day Song でスタート。8月というわけでもなくなんとなくはかなくそれとなくさりげなく。ボサノバ? ラテン? よくわかりませんが、こんなテンポの音楽が好きです。聴くというより身体にまとわせる香りを秘して垂らすような恍惚。

午後から東大阪へ。歯の定期健診。ドアからドアへ、片道約105分、健診約30分、帰りはあと約15分プラス。

半日の移動が与えてくれる天秤を測る時間。

滑走する車窓に焦点は合わず、合わせもしない、一番大きなCが見えないぐらいぼんやりしたコントラストと耳小骨が伝える音が溶けていき、空想の分銅をのせている私の言語遊戯。

脳裏の映像が歩行者信号機の点滅みたいに現れて消える。語彙はその映像を言い表せない。語彙の輪を膨らましたくて中身を引っ掻き回す。

車内なのに意識が「自分の部屋にいる」感覚ボタンを押した。

膨らませない。歯痒さが光と影の隙間に入り込んで、車窓に引きつった顔を映し出し、自分の顔貌は視覚へ帰ってくる。

連日の驟雨。驟雨と呼べなくなるのかな、いずれ。健診中だったのずぶ濡れは免れた。

影の入口

時間を潰す、という。使わなくなったはずなのについ口から出てしまったとき、アスファルトに落ちたスマートフォンのような傷跡が精神に残る。

時間を金で買う、という。口するのも憚れるほど下品。綺麗事だ。それがどうしたと言われるだろう。そうであってもてっぺんからつまさきまでつめこみたいものがひとつぐらいある。

時間は生命。

潰せない、買えない。無駄を作ろうが空白のままであろうが、どのように過ごしてもよい私の時間。不足でも知足でもかまわない。

急速に冷める何か、醒める何か。憑きものが落ちたみたいに。

私の中にある比率が変化していく。

何を書きたいのかわからないまま、わからないのに、意味不明な文章を書く時間もまた私の時間。

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