diary

実物と心象の狭間

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2013.08.17 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=-AHk_-VsEyI]

Sérgio Mendes & Brasil ’66 – The Fool On The Hill でスタート。この曲、オリジナルよりこっちが今の好み。(テンプレなイメージなんだけど)部屋と珈琲とお菓子、この系をループして、日がな一日まったり、部屋がまるっとしっとり、だろな。

終日、ウェブサイト制作。配色に悩む。毎度、配色はほんま難儀。独学のなかで身につかられなかった領域。悶々。

第三十九候、蒙霧升降。ここらは酷暑が続く。日の出に誘われる。空気がほんのちょっぴり乾いていた。あっ、「あの朝」に近づいている!

精緻な自然運行。湿度が低い朝は匂いの粒子を運びやすくしてくれるのか、雑多な匂いを運んでくる小気味良い空気の着心地がたまらない「あの朝」は、街の中でまだ眠っている。日の出がもう少し遅くなるまでのんびり待ちながら。「あの朝」が大好きだ、待ち遠しい。嗅覚が忙しくなる朝。

旬の野菜は玉蜀黍。好物。近頃のは甘い。収穫してから一日経っただけで甘さも栄養価も半減するといわれる(んだって、そうなの?)。だとしたら、食べたときよりもっと甘いわけで、いまでも十分甘いのにさらに甘い玉蜀黍は、私の性格と張り合えるぞ。

自分の手

昨年、お客さんの奥様が撮影したもの。先生とスタッフの方々といっしょに院内を巡回した。ゆっくりゆっくり見て回った。みなさんの目に映っていることを教えてほしいと伝えた。

患者や私が見る視点と、スタッフの方々が見る視点。ウェブサイトのテキストは、この視点の差異から生まれる。

この写真みたいな眺望点と視線。

毎日、自分の手を見ている。見ているようで見ていない。私にない立脚点からの眺め。

自分の手のイメージは、頭の中で走っている若い時の姿みたい。頭の中は速く、実際は遅い。そのズレが体をつんのめらせて転げる。

実物の手は目の前にあるのに脳は残像を保持して、実物と心象の狭間を彷徨する。

自分の視点を筋トレしてもこんな風に見えない。

(実際は見ているようで見ていないのも多いけど)見ている実物と心象のエアポケットに入り込む映像が主観だ。

誰かの視線が客観だとしたら、私の視線が主観。客観”的”、はない。客観的って、まるで限りなく偽物に近い主観だと思う。悪い意味じゃない。

本物(ほんとう、ではない)を確認するために欲する偽物。

その偽物がなければ自分の主観はどこか心もとない。自分の手が撮られた写真を眺めるように、私の現在位置を時には確かめる。地図を読むのは苦手だから、現在位置を確認するだけで一苦労なんだけど。

そんな姿を誰かは写してくれるだろう。

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