【備忘】埒外

2013.08.25 雨のちくもり

http://www.youtube.com/watch?v=jTPD6cPym_M

ソウル・フラワー・ユニオン – 平和に生きる権利 でスタート。「静かに暮らし 生きる権利を」静かに失われつつ、あるいは奪われつつあるのだとしら抵抗するよ。ファンクにロックにアイスピックみたいに。無力でもやるよ。

憤慨の備忘。ここに書いたところで、と承知している。もしも数年後までここが残っていたら、と思ったので。支離滅裂を記録する。

スーパや駅前の駐輪、帰宅しないゴミは一定数の存在を誇示している。それらは理解の埒外だ。こちらは強烈な不快を浴びせられても認識しなければならない。

今回は一定数でなく、マジョリティだ。構造は同じ。理解の埒外にある存在。

文部科学省が発表した「体力・スポーツに関する世論調査」を目にした。憤怒。怒りが通り越すことはまったくなかった。オリンピックなどの国際大会を国内で開催することに、「好ましい」と「どちらかといえば好ましい」を合わせた回答は計92.0%。なんや、この数字。

アンケートは質問と手法と母集団によって、結果は変わる。今回も疑った。冷静になろうとしてもダメだった。理解の埒外の存在に苛立った。

東京2020オリンピックに反対だ。反対の理由をくどくど書かない。復興と原発。

そして、未来は音楽、映画、演劇、舞踊、工芸、絵画、詩歌、文物など、もっともっといろんなことで満ちてほしい。

紫陽花

陸上の著名な選手だったはず、違うかも、とにかく言っていた。オリンピックのメダルは、その競技の後進を育てることになるらしい。なぜなら、メダルの瞬間を見た子供たちがはその競技をはじめる。「ひとつの層」になって、切磋琢磨するからレベルが上がる。意訳だけど、だいたいそんな意味。

その理屈と実物にふれる点を理解できる。だけど共感しない。その「ひとつの層」は大事だし、他の分野にはさらにたくさんの若い方々がいて、そのたくさんの方々も未来を豊かにしてくれる。物質の豊かさではなくて。

東京2020オリンピックを期待している子供たちには、こういう反対する大人も一人いるよ、とだけ言う。

1と10ほど離れた乖離感が漂う事象に、私の怒りを宛がう。それは、1と0.9999999999…..の中にある小さな無限の「わからない」ことに向き合いたくないから。向き合いたくない気持ちを、「社会」という上滑りしていく単語に思念を流し込んで、自分の溜飲を下げている。わかっている。

わかっているけれど、やっぱり今回のは腹が立つ。

インターネットの「全体」は素晴らしい環境をもたらしている。同時に正反対の愚人も生成しているが。インターネットにある幾多の扉を叩けば、冷静と熱情を謙虚で包みこんだ専門家の方々がいる。丁寧に説明してくださっている。

別の扉を叩けば、いろんな分野の方々がいる。市井の人々がいる。愚人に不快な思いをするのは悔しいけれど、悔しいと思うことがもったいないと納得させてくれる方々がいらっしゃる。そう教えてくれる。

自分への問題を設定する。問題の設定がもっとも難しいんだ。

注意はひとつ。偏向。自分の「好み」で選びがち。どうしても選ぶ。私が愚人になっていてもおかしくない。いつのまにか理解の埒外へ堕ちているかも。だから、自分を棚卸しして、何が増えて何が減ったかを吟味したい。難しいのはしょうがない。

(リアルとインターネットにかかわらず)いま自分の周りに立ち止まってくださっている方々、いずれ通り過ぎるまで踊り場にいてくださっている方々へ真率に向き合いたい。それが私の社会。上滑りしない社会。

マジョリティに靡きたくないし、だからといってマイノリティに進んで行くつもりはない。自分の座標軸と現在位置を迷いながらやっていく。

何を書いているのかさっぱりわからない。後で読み返したら理解できないだろう。今までもそうだった。さっぱりわからなくても記しておきたいことがある。