琵琶湖
diary

世界は寝相を見ればよい

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2013.08.30 雨と曇

子供たちや動物が寝ている姿の写真と動画に人々は吸い寄せられる。見入る。キュンキュン、コメント欄にはシャボン玉が浮遊する、みんな、まあぁぁぁるくるい。

どうして残虐なことが起きるのか。あの人たちは寝相を見たくないの?

政治家は、狂る人々は、過激な絵空事に夢中だ。現の寝相を目にしていないの?

世界は確実に進歩しているけれど、その中にいる私の目に映る進歩の速度はどんな生命の歩みより遅くて、止まっているかのよう。描く像へ世界は近づいている実感を持てなくて、世界は寝相を見ればよいと私は苛立つ。

誰かのことはわかろうと思わないけれど、誰かのことはわかりたい。わからないことは銀河系よりも広大で、わからない苦しみが1,000倍ならば、わからなかったことがわかったときの喜びは無限大。

わからないことは毎日落ちてくるのに、無限大はなかなか落ちてこない。いつまでも見上げている。どの雲の上にひっかかったままなんやろ。

それぞれがそれぞれの胸奥に小片を持っている、たぶん。持っていなければこれから見つけるんだと思う、それぞれがそれぞれ。

小片は幾つもあり、万物流転であり、変わらないものもある。誰が発明したか知らないけれど、永遠に剥がせない接着剤で貼り付けられた小片、ってあるんだ。心の深部に貼り付けられた一枚。それが、かけがえのない巡り合わせ。

時空は音楽のない人生。一枚の小片。

まだ手にしていない人は、いつ何処でかなんて未知と不知、手にしても接着剤で貼り付けられないやら、剥がれてしまう接着剤やら、気付かないまま過ぎていくやもしれず、はたまた貝合わせの貝のごとく小片を持って待ち合わせしていた人はいるんじゃないかしら、とも。者にあらず、物が小片の人もいると思う。あるいは事が小片。70億の営みがあるんだ、たぶん。たぶん、ばっかりだけど、ちっさな頭の中でだけの特権は想像。

いろんな見知らぬ人がいる。いっぱい居る、イル、いる。

「いま」の感情が、直感と直観の濾過装置を使って、わかろうと思わない人を取りのぞき、わかりたい人を残す。誰も残せない、あるいは残さない人だっているだろう。人は複雑なんだ、きっと。そう思う、というより思いたい自身の気持ちを知覚して、決して単純にしない、と自分を慰める。

その慰めは逃げてるんと同じやないんか? と時々自分に確かめて、天秤にのせる。

宮崎駿監督が声優を決める会議で発言した。『風立ちぬ』の堀辰雄を誰にするか決めあぐねていた時の言葉。堀辰雄氏をこう評した。

言葉が少ないだけなんです

頭よすぎて あんまり余計なことを言わないだけなんです

内気だからしゃべんないじゃないの

頭よすぎて、は羨ましい。馬鹿な私は、頭よすぎての人よりもっと黙らないと。なかなかできないんで焦るんだけど。

喋らなければわからない。ひょっとしたら伝えられない。それはそうだ。思う一方で、沈黙の時がある。沈黙は、透明でない空でもない何かの無形を語る。沈黙が語っても誰も受けとめない。

誰にも受けとめられないあたりまえのことを確かに握りしめて、沈黙の語りを慮ってくれる存在がいると願う。矛盾。沈黙の語りの矛盾が、残像を自在に編む言葉を生成する。

光速は毎秒約30万キロメートル。その速度で伝えて伝われば効率のよい コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン だね、代わりに相貌から喜怒哀楽が無くなったりして。

沈黙は光速で無尽の中を進み、いつか誰かの心境に反射されて返ってくると語りながら待つ。待つんじゃないかな、何だろ? 今は最適な表現を発見できない。

喋らない方がよい希求と書き連ねる駄文。これも矛盾。沈黙と矛盾から言葉が絞り出されたら嬉しい。

またくどくど書く悪癖があらわれはじめた、あかんて。

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