diary

矛盾と支離滅裂の混同

Leave a comment

2013.09.12 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=4wi5WTYBFy4]

IMANY-Please And Change でスタート。09/24に梅田でライブがあるからFM802がCMを頻繁に流している。そのせいで最近はもっぱら The Shape of a Broken Heart をリピート再生。CMでは You Will Never Know が流れているけど、以前に貼ったはずなので、今回はこれで。アルバム、ほんとよい。ライブ行きたいような….。

ひょんなことから事象を考えることってあって、「ひょん」はすっかり忘れた。事象だけが白シャツにこぼした珈琲の染みみたいに頭に付いている。とれない。

矛盾について。

iPadの日記アプリに短文を書いている。矛盾が気になって調べる。先生のブログへ辿り着いた。2007年のエントリー。2004年ごろからの読者だから読んでいるはずなのに驚いてしまった。いつになったら先生から卒業できるんでしょうか、嘆息。

対立があるときの方がないときよりもシステムは活性化する。
「弁証法」と呼ばれるのはそのプロセスのことである。
活性化ということに焦点を当てて考えると、ある能力や資質を選択的に強化しようとするときには、それを否定するようなファクターと対立させると効率的である。
経験的には誰でも知っていることである。
「対立するものを対立させたまま両立させる」のは、二つの能力を同時的に開花させるためには、それらを葛藤させるのがもっとも効果的であるからであろう。

対立するものを両立させる (内田樹の研究室)

矛盾は二つの能力を開花させる。

驚いた。ぼんやり考えていた「矛盾」が、ここにある。いつごろからか「矛盾を矛盾のままにしておく」ようになった。両側に位置するどちらも局面によって必要なんじゃないかと思うから。

驚いてから正確に納得した。出版された先生の書籍はほとんど読んでいる。ブログと書籍が無意識の階層に住み着いているんだろう。自分が考えついた矛盾へのふるまいではなく、先生から剽窃していただけ。剽窃は都合よく忘れて、ふるまいだけ記憶した。その模造記憶をあたかも自分で考えたように錯覚していた。

早尾神社

自分のなかにある矛盾を理解している(つもり)。「運動の精度を上げるためには、この矛盾する要請に同時に応えなければならない」の運動を思考に置き換える。思考の精度を上げるために「矛盾」に耐える。理解しているつもりで「矛盾」を使い分ける。

自分の中にある矛盾は他人には理解されない。矛盾を矛盾のままにしておけば、他人から支離滅裂に映ってもおかしくない。

矛盾と支離滅裂はコインの表と裏みたいかも。私には矛盾が見えて、他人には支離滅裂が見える。クルクル回っているうちに、どらちの面が自分と向き合っているかわからなくなる。

いつのまにか自分の中にある「矛盾」は矛盾ではなく、支離滅裂になっているかもしれない。矛盾と支離滅裂の混同。

矛盾と支離滅裂が混同されてしまったとき、どうすればよいだろう?

そんなことをiPadに備忘した。

It\'s only fair to share...Tweet about this on TwitterShare on TumblrPin on PinterestShare on Google+Share on Facebook

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。