diary

年齢・職業・地位を捨象したら誰ですか?

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2013.09.25 晴れ

[youtube:https://www.youtube.com/watch?v=xEdDefBW16c]

Nabowa – きょうの空 でスタート。お気に入りのインスト。ここ数ヶ月のヘビロテ。いつ頃からか、インストの比率が上昇気味。なぜかわかんないけど、音だけって心地よいね。

二十四節気、秋分、秋の彼岸の中日。第四十六候、雷乃収声。50年、100年後に「暑さ寒さも彼岸まで」があるかしらと彼岸花のプログラムに見惚れるあちらこちら、鱗の空。旬の野菜は舞茸。人々の群舞や蝶が舞うやら、見つけた人が舞い上がったなどの名前の由来とか。優れたバイプレイヤーと思っているけれど、ほんまに美味しい舞茸を食べたことないから、食せば主役でしょうの空想。

三脱の教えという。「江戸しぐさ 三脱」とGoogleで検索したら約 70,300 件 (0.34 秒)がヒットする。

属性を取り払って目の前の人と向き合う。耳にすれば、目にすれば、あたまりまえだと感じられても、我が事として引き受けているかと問われたら返答に窮する。

素敵な人の特徴は言葉の遣い方。年上や年下を区分しないで接し、言葉の遣い方が丁寧だ。丁寧は敬語の意味じゃない。たぶん語感と語勢。人に対する「区分」を捨てている、あるいははじめからないのか、言葉の遣い方が柔らかい。尖った言葉が放たれても突き刺さない。

対照的に誰にでもエレガントな敬語を話す方がいらっしゃる。それもとても素敵だ。かたい敬語にあらず、隣の県をまたぐような距離感の丁寧語でもない。適切な距離感を探りながら滑らかな言葉を使う。絶妙な距離感が設定されても敬語の質感は変わらない。機械がしゃべっているんじゃない、生身の人間が綴る誠実な語彙の塊。

どちらの方であっても、所作と言葉の遣い方に触れたとき、皮膚がピリピリしてざわざわする。軽いけど深い興奮が体液といっしょに出てきそうだ。

そういう方々は三脱なんてわざわざ学習しないんだろね。あるいは過酷なご苦労を重ね、迷い、躊躇い、考え倦ね、試行錯誤の末に身につけた独学の三脱なのかしら、とも想像する。

フリーランスになって外側を観察したら、先輩が後輩へ口を開くときの語感と語勢が気になるようになった。先輩後輩だけに限らない。会社にお世話になっていたとき、自分もああだったんだと今になって恥ずかしくなる。

先輩は後輩にマウントをしかけていそうな語気を感じる。”後輩”のラベルを貼って、自分の優位を無意識に語気に含んでいるかのよう。

投射は私だけだろうと認識している。自分の感覚を誰かに押しつけないし話さない。そう感じる自分の理路を検証して間違っていれば修正する。その繰り返し。

自分にとって都合よく錯覚できるのは幸せだ。他人に迷惑をかけない範囲で。

日常を書いて送って下さるメールを読んで、メールの中身とはまったく関係ないことを錯覚する。メールの内容を翻訳すれば「大丈夫?」と気にかけてくださっていると錯覚できれば、それだけでずんと響く。

もうありえないぐらい自己都合な錯覚なんだけど、迷惑さえかけなければ、そんな錯覚がおだやかな夜をもたらしてくれる。

自分で自分の存在を知覚するのは大切。その大切から対極にあるもうひとつの大切。見えない他者の眼差しが私の存在をプッシュ通知してくれる喜び。孤立は体感させない。

「つながり」はわからない致命的な欠陥が自分にある。それを認めてからインストールできた誰かと私の存在の感受。

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