diary

立ち上げて下さいと言ったら起立した

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2013.09.30 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=PynsLIgqxhs]

BARBEE BOYS – 負けるもんか でスタート。14,5歳頃、なんだったんだ?7DAYS のPVを視聴して、刹那、首ったけ、テープの音が1/2速度で回したみたいな声まで聴きました。模造された記憶を辿ればこのあたりから洋楽へも手が伸び、それまでのフォークソング+ビートルズ+ちょっとだけグループサウンズのローテーションの間隔が長くなった。

冷蔵庫から飛び出す冷気がありがたくなくなってきた朝夕、昼間はまだ暑い。乾いた暑さゆえ日陰の迷宮に入れば皮膚は慌ただしい。雨が降らない、乾く空気。シンクロしたかのように自分の気持ちも乾き、黒い埃が舞い上がって口から毒が飛び出しそうで、心臓から血液をくみ上げて時々打ち水する。

列車の移動中、単語が浮かび上がってくる。パズルのピースみたいにバラバラの単語たち。前後の脈略や思考の文脈はない。車窓から連想した単語や歌詞の一部、小説や詩集から触発されて剽窃させてもらって言葉の配列を変えてみたくなった単語が浮遊。

浮かべるけれどしっくりこない。じれったい。歯がゆい。そんなときは辞書を引く。もっとあるはず。でも、そうなるともう「意味」を探している。

突然、否、無意識が幅跳びした単語が次から次へランダムに再生される。そんなときがまれにある。その単語をつなぎ合わせたら、意味はめちゃくちゃなんだけど、なにかすっと入ってくる響きがある。

頭のデスクトップに貼り付いた付箋を剥がしたくて、単語を連結させて新しい意味へ拡張したい衝動にかられたり。

言葉を伝達する。受信者は意味を解釈する。送信者の意図とは異なる意味が起動する。

昔、後輩にPCの操作方法を研修したとき、「立ち上げて下さい」と発声したら、目の前の一人が椅子から立ちあがった。25歳ぐらいの時だったと思う。いまでも光景を鮮明に覚えているし、ひょっとしたらその記憶が日々のなかで編集されて模造記憶へ拡張されて、認知や認識への関心を深めたかもしれない、と感じる。大袈裟だけど。

伝える、だけど伝わるかどうかはわからない。

これが自分の基本姿勢だからかな、言葉に拘泥してしまう。伝わって欲しい欲求よりも、伝わっていない不安の方へ天秤は傾いている。だったら今みたいな回りくどい伝達を止めなさいと頭の中の自分へ命令する。論理的な思考と論理的な伝達をトレーニングしようと。

頭は命令しても体がしっくりこない —– そんなありきたりな言い訳を自分へ繰り返す。怠惰な日々に言葉を埋没させる。怠惰な点から対角線上にもうひとつの点がある。対極の点。「意味」は受信者に任せてしまって、こちらの思考地図を我流に描けばよいのではと開き直る、点にも自分は居着く。

言葉を尽くさなければならないとしつこく自分に言い聞かす私と、言葉の万能性を信仰するのはやめようとさめている私が綱引きしている、ある時からずっとしてる。

この先も年柄年中運動会しているだろうし、どちらに軍配があがるかわからない。どちらがほんとうで、どちらに軍配が上がってほしいかわらかない。

意味を解釈しないで連想する単語をつなぎ合わせて、頭の中にある「何か」を拡張させて自分は頷ける言葉を配列して自分だけ満足できるオナニーがこんなに気持ちよいのかと体感したら、「意味」は辞書にないと思いながら辞書を手淫する日々。

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