diary

みえないにおわないかたちない共通した何か

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2013.10.07 晴れ

Nabowa – SUN でスタート。大好き。“20120707” Nabowa に収録。06:00すぎあたりからの疾走感がたまらず、風呂掃除で無限ループ。

滑稽だ。10月だ。半袖だ。ブックマークの天気予報は29℃だ。なんだ、30℃下回るやん。許したる。あっ、基準が狂っている、狂ってる。夏の日射しと違って曇れば涼しく感じられるから許そう。あっ、基準が狂っている、狂ってる。

書籍に囲まれる部屋の中で、“里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)” 藻谷 浩介, NHK広島取材班 , “マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)” 米原 万里, 山本 皓一 , “嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)” 米原 万里 , “ビギナーズ 日本の思想 道元「典座教訓」 禅の食事と心 (角川ソフィア文庫)” 道元 , “一日の終わりの詩集” 長田 弘 が仲間入り。

たまに気が向いたらここに備忘している。読みたい本はなくならない。

ビジネス書を久しぶりに読む。“未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学 集中講義II” ティナ・シーリグ がおもしろい。

意味のある観察をするには、対象に近づいたり離れたり、スケールを変えることが必要です。そうすると、どんな解像度でもパターンが見えてくるのです。

“未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学 集中講義II” ティナ・シーリグ

同じモノを見ていても異なるコトを心象する。ペットボトルを見たとき、形状から連想する人、フォントに注意を払う人、色に意識が奪われる人がいる。もっと他にもある。見る位置によって変わる。ひょっとしたら、同じ人でもペットボトルの種類ごとに観察する解像度が変わるかもしれない。

対象への距離を縮めて認識できるコトがあり、距離感を遠ざけて認識できるパターンがある。

近江舞子いちご園の秋桜

人の暗部はどこにあるかわからない。歳の重ね方にバグがあったときに、相貌にエラーが現れるかどうか知らないけれど、設計を間違えて進化した顔貌に映る人がディスプレイにはいる。自分の主観とはそういうものだと思う。有名な方の顔は不条理にさらされる。私はその方々を何も知らないのに、顔貌の輪郭と雰囲気だけで、バグとエラーと認識する。

ただそういった人には、自分の直感と生理の反応に従って近寄らない。有名な方であれば、そもそも近寄れないから、注意を払う以前にお話。

そうではなく、自分の中にも潜んでいる「暗部」だ。どこに潜んでいるかわからないけれど、どこかにいる感覚は常にあり、演じることによって暗部を体内に閉じ込めている。

実体はなく、暗部は感情に溶け込んでいるかもしれない。ドロっとしてじめじめした気持ち悪い手ざわりのようでもあるし、クズと言われてもおかしくないような感情の塊でもある。

何かのよ拍子に顔を出したとき、絶対的な冷たさに触れて、触れた部分を切断しなければならないぐらいのダメージを負うかのよう。

程度のこそはあれ、多くの人が抱えていると思っている。天性の天真爛漫な方はいらっしゃるだろうし、暗部があってもまったく現れない人もいるはずだ。だけど、普通に(何が普通かわからないけれど)市井の一人として、淡々と送っていた日常の隙間に、ある日、突然、暗部が宿主を襲う。

そういう怖さのほうが、無味無臭で見えないように感じる。

人を信用する、信頼する、しないの階層ではなく、私や誰かが持つ暗部自体にある「共通した何か」を理解しはじめた。

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