diary

貸しロッカーの中の大切なもの

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2013.10.08 晴れ

THE MICETEETH – ネモ でスタート。短編小説のような歌詞。楽器は同じなのに歌詞や気持ちによって異なった音色に聞こえる。

スーパの駐輪場は世界の縮図。大層な事を言っておりますが。少数にも満たない人が所定の位置に駐輪しない。1台駐輪していれば、人は後に続く。

店員さんと自転車のいたちごっこ。所定の位置に移動しても、また誰かが駐輪する。「そこ」は駐輪してもよいと認識されたら、「そこ」は駐輪場になる、一部の人にとって。

いたちごっこに疲れた店は諦める。そうなればカオス。エントロピーは増大する。たぶん誰かが苦情を申し立てるのだろう。

駐輪場の柱に注意書きの紙が貼られる。入口に看板が立てられる。

そうやって誰も見ない誰のためかわからない「注意書き」が生まれ、空間は猥雑に変容する。

入口近くに駐輪された自転車は、手動ドアを塞いでいた。開かない扉。店舗内から脱出しなければならない不測の事態が発生したら、手動ドアが開閉しなければ、そこでも事故が起きるかもしれない。万に一つ以下の可能性だとしても絶対はない。

微細な現象に気を揉んでもしょうがないから苦情の意見を書いて投稿するだけ。事故が起きなければ変わらない。知性のかけらがない人の利便性を許容する行為が多数以上の存在へ危険をもたらす。

善悪是非や倫理、美観の問題ではない。その範疇が適用できる人は知性を備えているから「注意書き」は通用するはずだ。人間としての種は同じ。所作の進化のプロセスが異なる種である。記号すら通じない。

計量可能な危険への認知。その差異だ。未然に計量可能な危険を回避できるなら、選択できる対策を実行する。それでも計量可能な危険は計量不可能な危険に変化していつでも襲いかかってくる。

「72時間 大阪西成貸しロッカーブルース」が強烈だった。私が想像できるような事柄を「事情」と言うには憚れるほど事情がある。人の数だけ事情がある、と口で言えたとしたら、たぶんそれは互いの会話を効率的に送受信したいから便宜的に使われるフレーズである。過去の記憶を辿って、そのフレーズを口にしていたら消去したい。

顔を映さなければOKという人、にべもなく断る人、丁寧に受け答えする人、半生の断片を語る人….。刑務所から出所したら取りに行くから荷物を捨てないでくれと残した人、死ぬまでにもう一度大工をしたいと錆びた道具を見せてくれた人….。

編集されていない映像には、ひょっとしたら乱暴な物言いをする人もいたかもしれない。

柔和で穏やかな話し方をする人が日雇い労働である違和感。自ら選択するホームレスがあり、日雇いで日々を丁寧に過ごしている方はいる。善悪是非の単純な構図で切り取りたくない。

「自分で稼いで自分で飯食うのがいい」とおっしゃったおじさん。鉄を収集して売って暮らしている。一日の売上げは二、三千円。

ロッカーの中にある一番大切なモノを見せて下さいとスタッフがお願いしたら、雇用保険証書と保険証を鞄から出した。それはかつて会社員として働いていた証。

若い時に田舎を「事情」があって飛び出してからずっと一人自力で生きてきた。今なら生活保護を申請できると言う。でも自分は生活保護で暮らさない。

その人にとって何が大切であるかは、事情と等しい。それ以上だろう。計り知れない。

自分とって必要なものは貸しロッカーの中にすべてある。その中に大切なものが収められている。

そして他人事ではないんだ、我が事として強烈に残った。

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