diary

沈黙のない会話は息苦しいだけだから安心してほしい

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2013.10.10 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=l4B1v0xosPs]

奇妙礼太郎 – 天王寺ガール でスタート。この声ほど唯一無二はない。心を揺さぶられる歌はあっても、心を鷲づかみにされる声は一度出会えたら充分だ。出会った。何度耳にしても全身がぞくそく騒ぎだし、感情は沸点に達する。

秋は拗ねているのかしら、怒ってるのかしら。秋はどこに隠れている? 日陰には確かにいるのに。

二十四節気、寒露。太陽の黄経は195度。朝晩の冷え込みが感じられない。寒露、自身も忍びないのではなと勘ぐってしまう。第四十九候、鴻雁来。旬のやさいは零余子。旬の果物は木通。どちらも自ら食するものではない。

アルバイトの資料が到着したので入力開始。入力しながらサイト更新の連絡を複数でやりとり。マルチタスクはおもしろい。が、ちょっと疲れる。なんだろ、普段使わない筋肉を使ったような脳の感覚。

“マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)” 米原 万里 を読了。「お元気ですか。こちらはもうすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス二一度。暑いほどです」から始まる文章は、一気読みに値する。何もかも別世界。自分がいま住んでいる場所、秋が来ない四季、とかがまったく通用しない文化と世界。

この手紙に返信する米原さんの言葉が素敵だ。「東京は春だというのにまだはだ寒く、きょうの気温はプラス二一度です」

自分の価値観や常識が通用しない。抽象化したら水平できる事象だ。時間もそうだろう。手帳の空白には相手の時間を記入できると誤解する。自分が棲んでいる世界と自分の思考の癖に馴れてしまって、感覚が麻痺したとき、より広い世界へ開かれている扉を自ら閉ざしかねない。そんな風に感じて読み終えた。

淡々と綴られるマイナス50℃の世界に住む人の生活は、( ! ) の連続だった。ページを繰る度に一つ、あるいは一つ以上の驚きが待っている。

歳を重ねるにつれ、「さようなら」とはっきり口にする別れは減る。はじめからないかもしれないが、はっきり口にする場面は、この先決まってくるだろう。

出会いと別れと表現するよりも、立ち止まっている時間の質と量と表現されるほうがしっくりくる。立ち止まってすぐに通り過ぎることはある。どちらかが忙しいか、どちらも生き急いでるんだろう。

かと思えば、立ち止まっているかが判然としないけれど、通り過ぎてもいない関係が続くこともある。

「誰かに話したい」と誰かであり続けたいから自分を進化させていきたい。話すことに場所や状況は関係ない、と感じてもらえるような人になりたい。

会話は、何かを喋り続ける行為じゃない。妄想かもしれないけれど、たぶん、立ち止まり続けられる会話は適度な沈黙を待っている。むしろ沈黙の比率が高いとさえ感じる。話す、というより、触れる感覚に近い。体が触れるのではなく、何かに触れる。

沈黙のない会話は息苦しい。まるで手帳に空白が生まれることを恐れる余り時間を埋めていくみたいだ。

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