夏の日射し

根本へ向かなければ解決しない

2013.10.25 雨

Eric Clapton – Wonderful Tonight (Official Live Video) でスタート。以前にも貼り付けたかも。条件反射、パブロフ犬。これ、夜、涙。なんでかわかんないけど、記憶と音楽がそうリンクしてる。強烈に刻まれた映像が何度も再生される。

二十四節気、霜降。霜の降り始め。第五十二候、霜始降。旬の野菜は占地。天然は本占地、年がら年中食べているのはブナシメジ。蕎麦好きには喉が鳴る季節である。先日、奈良で十割の蕎麦を頂いたところ、塩だけで食べられる美味に唸った。

『ひとりだ でも淋しくはない ~詩人・加島祥造 90歳~』の録画を視聴。姜尚中さんが先生のご自宅へ訪問した後日、その時の様子を振り返って、「彼はLonelyじゃなくてAloneのほうにステップアウトしたような感じだね」とおっしゃった先生の言葉がとても響いた。

Lonelyは人から離れた淋しさ、人を求めてあちこち過去へ行ったり未来へ行ったして、今の人を探す。Aloneは過去も将来もなく今のひとりを楽しみ、ひとりで大丈夫だという意味と説明されていた。

先生は講演の先々で女性から質問を受ける。でもはぐらかすように質問を返すときがあった。もう少し根本を考えたほうがいいよ、と穏やかに突き放す。

みんなの質問に共通している構造は、「自分のこと」だ。自分のことを尋ねる。

「どうして俺にそんなことを聞くのか?」と先生は返される。自分のことなのにどうして自分で決められないの? と言われているみたいに聞こえる。

 

夏の日射し
*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

問題が起きたとき、問題を解決したように思えるが、実は解決されていない。問題の表面を対処して処理できたから解決されたように誤解する。

ひょっとしたら「問題」にもなっていないのかもしれない。

処理できた状態が「安定」だと錯覚して、問題の根本へ向き合う時間をつくらず、心構えを涵養しなくなる。自分の言動を振り返れば心当たりはいくらでもある。

また事が起きる。一見、前回と違う様相を呈しているように見えるが、前回と同じ構造であり、それらを分解して要素や側面を明らかにすれば、「根本」の輪郭は朧気に見えてくる。

自分のなかの「根本」を探究していくこと。根本の探究は、外にない。

先人の教えや本は問題の表層から深層へ道案内してくれるが、根本への道筋は示さない。内にあるかけらを拾い集めて根本への入口へ立つのは自分でしかない。

自分のことだ。「当事者」のつもりがいつのまにか「傍観者」に変容した。ただし、 “ドラッカー名著集12 傍観者の時代 (ドラッカー名著集 12)” ピーター・F・ドラッカー のような傍観者ではない。自分でも気付かないうちに当事者から乖離して、「自分のこと」を尋ねているようで他人の事態を口にして満足する。

根本は外にない。内にある。根本の手ざわりを体感してようやく「問題」をつくり定められる。

外が安定しているように見えるからといって自分は進化していない。知識を吸収して自分の見た目やしゃべり方や意見の内容を変えられても、変わっていない。

また同じ「事態」がやってくる。