Light and Shadow
diary

今まで知らなかった階調が空間の襞に隠れている

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2013.10.27 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=yV8TWVfncSs]

青谷明日香 – 異端児の城 でスタート。今日は必ず行くと決めている東北の地でライブ。どんな感じだろうか思い巡らし、無理だわ、と目にして大丈夫なんだろうかそわそわして聴く。青谷明日香さんが関西にお越しになったら絶対行く。わかったつもりになったらあかんのです、生を見んと、触れんと、ほんま。

春夏秋冬は均等じゃなくて、1 : 4 : 1 : 4 の感覚。あっ、あっ、合わない。残りの2は自分で感じる空白。にしておきたいんですよ、グラデーション、階調、移ろい、ゆらゆら、ららら。四つの一文字だけで表せない微細な移ろいがあるような気がして。

ある時から「足す」よりも「削る」を指向するようになって、ならば”秋”がシンプリシティで好みのはずが、削りすぎは気配を失う。初秋、中秋、晩秋、とあるように一文字足せば、景色の彩りは変わり、そこに自分の感性をスパイスしてやれば、音色が聞こえ、切り取る世界が見える。

“日本語 語感の辞典” 中村 明 先生がおっしゃるとおりだ。語感を鍛えれば階調のきめ細かさが増大する。今まで知らなかった階調が空間の襞に隠れている。

語感を纏うことを目的にしたら見失いかねない。自分が自身に感じられる力を涵養しないと。感じられる力がもっとも大切なんだ。

何が起きているか推測できそうで、できなくて、何かが起きていることは確かだから心配になる。そんな日々が続いていた。ただ心配の伝言は憚れる。伝言は後からでよいと私はそう思ってしまう。たちの悪い癖かもしれないが、ずっと巡らせて心配することは私にできるんだからそれが私の役割だろうと。

自分ができることを探して黙ってやる。伝わるかどうか私には二の次だ。心配を伝えることは大事。だけど自分を満たすために、自分が心配している欲望を満たすために伝えるんじゃない。

何もかも片付いて、ずいぶん後になってからでも笑えるようになったとき、「心配やったで」と笑って言えるような人になりたい。まだまだだけどそんな人になりたい。

誰かを心配している自分を演じたり、心配している自分に酔うために心配するんじゃない。ほんとうに心の底から心配するから黙って自分のできることを探すんだと思う。伝わらなかったらそれでもよい。相手の状況がよくなれば充分である。

知らせを目にしてほんの少しだけほっとしたから伝えてしまって、あとから反省した。少しでも早くよくなればを願う。何も残ってほしくない。

Light and Shadow

*FUJIFILM X-E1 *FUJINON XF35mm f/1.4

“ガセネッタ&(と)シモネッタ (文春文庫)” 米原 万里 , “旅行者の朝食 (文春文庫)” 米原 万里 , “夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)” ロバート・A. ハインライン , “素数の音楽 (新潮文庫)” マーカス デュ・ソートイ を購入。米原万里さんの文章と描写を学びたい。素数の音楽は文庫化されるのをずっと待っていた。単行本で読めばいいとはいえ、懐事情と相談しないとね。

「私は私が話している時間において私を聞く」(“声と現象―フッサール現象学における記号の問題への序論” ジャック デリダ) は、話すだけでなく、読書や書くことにも通底している。

私は話している自分の声を自身の耳から直接聞くことで、自分の理路や感知の仕方を確かめる。予定調和でしゃべっているようで、耳にした瞬間に「自分はそんなことを思い描いていたのか」とこっそり驚いたりする。

書くと話すの位相は異なる。確かめることは似ている。

文字してはじめて自分の思い描いている「中身」を整えられたり、疑似的な客観の眼差しを向けられる。時にはどこか冷静に読める。

そう思い至ったときに必ず訪れる疑問。障害を抱えている方の認知や認識はどうなんだろう?

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