diary

何を切願すればよいかわからなくとも何かが届け

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2013.11.02 晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=bG8PTN9MAMg]

MONGOL800 with SOFFet – ひとりじゃない でスタート。 “ひとりじゃない” この言葉がもたらす力は世界の共通言語。言語を獲得したヒトが最初に覚えた言葉じゃないかしらと錯覚してもきっと許されるはず。

思い立って妙心寺へ。

南総門から足を踏み入れた広大な敷地は非日常の静寂を醸成しているかのように感じられ、この中もまた日常であり、日常と非日常を二項対立させる意味を無意味へ化し、また明日がやってくると思えるのはとてもやわらかく弱々しい法則なんだと認識させる。

法堂天井雲龍図を一人で拝観できない。定刻にガイドが案内する。そういう決まり事は大の苦手だ。だけどどうしてもお願いしたいことがあり我慢して行列へ溶けた。

ガイドさんの説明に耳を貸さず、龍の目を凝視してお願いした。具体的に何を切願すればよいかわからなかったけれど、間接的にでも願えば何かは届くかもしれない。

一方通行でもよい。かかわるとはそういうものだと思う。

妙心寺南総門からの景色

オランダでは、「パンを2つ買うお金があったら、パンを1つと花を買う」との由。素敵。そういう心構えでいられる人になりたい。

「人は生まれたときに花をもらい死ぬときにも花をもらう 生きてる間は自分で花を買います うれしいときも悲しいときも」と花屋のヤンさんは口にした。

オランダでは自宅の窓辺に鉢植えや花を置くらしい。外から見えるように、幸せのお裾分け。豊かで成熟した国でも右傾化と排斥は進行している。人は己の中に単純と複雑を共存させたがるんだろう。

幸せをお裾分けする心は見習いたい。同時に大切な人の心配事もお裾分けしてもらえるような精神を忘れたくない。

ひとりではない。

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