diary

知るとは係わること

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2013.11.06 晴れ

知るとは私の役割を考え抜いて為すべきことを為す。あらんかぎりの想像力を振り絞る。GoogleやWikipediaは便利でも知るのではない。見た、あるいは読んだである。

知るとは係わるんだ。直接か間接を問わず、あなたの円と私の円が交わる領域を探し我が身を投じて為す。

知るとは身体へ取り込んで、肉体を動かして積み重ねていく「事」と「思い」の塊。

自分のためではないことを為す。大切だからだ。それ以外の理由は何もない。

自分のことですら何をしたらよいかわからなくなるのに、自分ではどうしようもないことをどうしたらよいかわからない。心のやりどころがなくてもわからなくても為す。

習慣になった祈り。震災の3日後ぐらいから何気なく始めた。私が祈っても何かが変わるわけじゃない。十全に承知している。震災で亡くなられた方々、行方不明の方々、被災者の方々、自衛隊、海上保安庁、警察の方々、福島第一原発に従事している方々を祈っている。毎日じゃないけれどほぼ毎日。こういうことを備忘するのは今までの自分なら苦手だった。書かなければならないから記す。この祈りにとても大事なお願いを加えてこれからは毎日祈る。

他にも為すべきことを考え抜いて為す。

( 「びわこ」といいます。にほんいちおおきなみずうみです。うみじゃないんですよ。うみほどひろくありませんが、とってもとってもおおきいです。みずがおくちにはいってもしょっぱくないんです。 )

琵琶湖

さけびたい、はきたい、あたりたいことがあるとき、私はいつでもいる。それを引き受けることが私の役割。いくらでも引き受ける。

犀利な感覚も繊細な感性も持ち合わせていない。ひたすら頷くか魯鈍なことしか言えない。

為すべきことを為すためにいる。

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