嫌悪しても矯正されない

2013.11.13 薄曇り

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=5XP-rS-SXiQ]

Dragon Ash – 静かな日々の階段を でスタート。二回目? 三回目? ほんと大好き。どこかにもコメントあったけど、この歌の韻の踏み方は圧巻だよね。踏んでいる感がないのに、すぅっと耳に入ってきたらひとつひとつ踏んでいるのが際立つ。歌詞そのものも大好き。

明日は今日から生まれて、昨日は老いて今日の土となる。一日の始まりから終わりまでを丁寧に過ごせない。だから5分、10分でも丁寧な狭間を作れたらと。狭間にいるときの私は落ち着かないけれど、狭間をすこしずつ広げられたらな。

いつか「丁寧」の単語が身体へ溶けてほしいと心がけて、狭間のなかにこそある自分と向き合う。丁寧からまだまだほど遠いよ。

朝から大阪へ。一つ隣の駅で乗り換えを待つ。ホームから見渡す盆地。空の色が碧で雲の輪郭がはっきり、山々は雲と雲の間から差し出す光へ手をのばしている。

列車待ちの人々は下を向いている。下を向く比率は増えているかしら。自分も仲間入り。気をつけているようで、ついつい。癖になっているやっかいさがじれったい。

15:00にもどってきて、その足で公園まで散歩。探しもの。入口のヤマザクラは落葉して土とコンクリートは紅色。奥へ足を進める。楓は色づきはじめたぐらい。イチョウは土を黄へ染めて雑草が迎え入れている。黄と緑の高コントラスト。

( さざんかだったらよいなぁとおもってとりました。ぴんとぼやけてしまってごめんなさい。さざんかかなぁ。まだつぼみがおおかったですよ。 )

山茶花

傷つけるつもりはなくてもたくさん傷つける。ほとんどは見えないキズ。

「見えないから感じる」と田中泯さんがおっしゃっていた。せまってくる。感じる力が弱い。自覚があるのにどうすれば強くなるんだろうって焦る。

今日(13日)か明日(14日)かわからないけれど、ぱっと浮かび上がって出力した感想が人を斬る。

言葉に臆病であれと記述した矢先にそんな軽はずみを犯すことへの焦燥。若い時のように自分を嫌悪する時間は残されていないし、嫌悪しても矯正されないなら、それは嫌悪でもない。

嫌いなフレーズ。「どうすればよいですか?」がずっと浮かんでいる。

どうすればよいんだろうな。