diary

直感は嗅ぎ分け先入観は納得する

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2013.11.20 晴れ時々曇

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=ak8cs9Xt-5k]

リクオ – 同じ月を見ている でスタート。いま中川敬さんとツアー中。先日の京都・磔磔のライヴに岸田繁さんがゲスト。垂涎。仕事じゃなかったら絶対行ってたよ。この曲は、詩と詞の共演。朗々と吟じられるように紡がれている詞が詩であり、音色が重なり、空を見上げてふと思う。

仙台曲がりねぎを視聴して、伝統技法の「やとい」に瞠目。

葱は湿気に弱い。地下水の水位が高い土地だと根が水に触れて腐ってしまう(らしい)。適さない土地で葱を育てる。6月に種を植えて8月に地面から1本1本引き抜く。引き抜いた葱を斜めに寝かして土をかける。この技法が「やとい」と云われ、寝かした葱は太陽に向かって再びまっすぐ育とうとする。すると葱が曲がる。見事な摂理。

100年以上前の先人たちが考えて編み出した。試行錯誤されたんだろうか、寝かそうとした着想はどこから得たのか、浮沈する質問。素敵な知恵。

第五十七候、金盞香。紅葉は晩秋の季語、立冬後は冬紅葉とある。”冬”が前に置かれて紅や黄への心象が変わる。おもしろい。四季の変遷は最盛期より大勢の耳目を集めなくなったわずかな間を好んでいる。枯れたり散ったり、まだ色づく前だったり蕾だったり。

“失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)” プルースト を購入したとき “KINFOLK JAPAN EDITION VOLUME ONE (ネコムック)” ネコ・パブリッシング に目がとまった。初見。写真と文章が自分の好み。とはいえ天然素材や自然食などを嗜好しているわけじゃない。ラベリングに以前は閉口した。今はいなしている。

見られるは磨かれるが、視線の質感を過度に取り込みすぎたら心身は混沌を綴じ込む。見る人は多くても見抜く人は少ないと自分を錯覚させたらいなせるようになった。

ラベルを貼りたい衝動を私は持っている。内観は衝動を抑制する。目の前の人から属性を捨象する。己の先入観が形になって現れる。

直感と先入観。直感は当たるが先入観は外れる。そんなイメージ。違うか、当たるというより直感は嗅ぎ分ける。感じること。先入観は言葉に置き換える。言葉が納得させる。了解すること。

( よっとです。ちいさくてふたりでのります。かぜとなかよくしながらすすんでいきます。かぜとけんかしたらひっくりかえるのかなぁ。びわこではよくみかけます。もっとおおきなよっとだとうみをわたれるんだそうです。 )

琵琶湖のヨット

毎日続けていること。私が行動しているわけではない。見方を変えたら自己満足かもしれない。だけどそう思いたくない。育まれていく情動を実感する。

散歩で目に「する」ものやことは、目に「したい」ものやことも混じってきた。

皮肉か、矛盾か、妙か、とにかくわからないことがある。それは自身に向き合う仕方をほんの少しずつわかってくるようになると言葉が減る事実。理由はわからない。

向き合う仕方は、「わからないことばっかり」と「まずは手足を動かしてから」を教えてくれる。

言葉が減れば、ここに書けなくなる。無理矢理にでも書きたい。力不足ゆえに”伝える””伝えたい”は埒外である。でも何かの縁があって検索経由でここに立ち寄った時、一瞥を投げてもらえたら、向き合う糧になるんだろうな、きっと。

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