diary

深く小さな点

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2013.11.29 薄曇り 寒いです

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=tYvm9Xynwzc]

清水アツシ – 愛しのサマンサ でスタート、ではなく、ラジオで奇妙さんとサンデーカミデさんが紹介した曲をリピート。いい声だなぁ。声は身体を象り想像の根源なんだ。一人のなかに声の階調があり、自身も聞き覚えなかった声がある。声は感覚ではなく感触であってほしい。触れらないもどかしさが存在を渇望する。

奇妙くんとサンデーカミデさんが東の地でラジオに出演するので、11:00すぎにサイマルラジオをセットする。ありがたい環境だ。一昔前なら必ず行くと決めている地のラジオを耳にするなんてできなかっただろう。隣県の局すら聴けなかった。すばらしい時代。

サイマルラジオを聴くと、関西の番組ですら「おぉ、そんなんあるんか」と吃驚する。いわんや足を運んだことのない地はまったくわからない。「その町の名前はそのままあなたの顔になる」ように聴き、己の想像の果ての先にある描けない風景や暮らしを自分の住む場所と並べる。マラソン中継に映る「どこも同じような風景」じゃないんだ。

正午、番組スタート。ラジオで聞こえる二人の声はハモってるかのよう。心地よい。唯一無二の声が共演すると無限大を奏でるらしい。羨ましい。まったりしたしゃべり、つっこみ、奇妙さんの奇妙なコメントにカミデさんがかぶせるスイングが底冷えの部屋をあっためた。

ライヴで一曲。”天王寺ガール“がいつものようにアレンジされていた。はじめて聴いたアレンジ。素敵、素敵、震えた。ゆったり、うっとり、しっとり。天才じゃないんだ。「天才」がかんたんに入力できるようになったテキストの世界、お二人は天才を飛び越える、軽く。天才は複数、お二人は単数な不比等。

たぶん、いや確実に自分だけのアンテナなら受信できなかった奇妙さんとサンデーカミデさん。番組を最後まで聴き終えた後、サンデーカミデさんのCDを聴きながら、紹介してくださった方へ改めて感謝。

番組のほっこり感が好き。高い声のDJさんやスタッフさんはどんな方々かしら。

( えんぴつです。もうひとつはえんぴつけずりです。えんぴつがすきでつかっています。えんぴつには”かたさ”や”いろ”があります。ふしぎですね。どうしてかけるの? なにからできているの? ってしつもんされたら、まだうまくこたえられません。そういうしくみをべんきょうしたいんです。 )

鉛筆と鉛筆削り

( つばきのはっぱとかえでのはっぱです。さんぽでつばきをみにいったらありました。つばきがかえでをくるんでいるようでした。きたかぜのかんたろうのしわざか、ようせいのいたずらかしら。とてもきれいでした。 )

寒椿と楓

冬至に向かっている実感。日の入りが16:45頃。夜が長い。白湯と珈琲ばかり飲んでいる。白湯がおいしい。そう感じられるのが可笑しくて可笑しくて。なんか自分やない感覚。白湯ばかり飲む自分なんて、たこ焼きのなかに蛸が入ってへんぐらいしんじられへん。

自分のことをわからないんだから他者を理解できないんだけど、どこか深い「点」に接続できるような誤解を信じて、「点」を探す。

「神は細部に宿る」のがほんとうだとしたら、自分の探す「点」は唯一の安定かもしれない。その「点」が安定していれば、あとは不安定でよい、そんなイメージ。

8,670時間ずっとしなやかでおだやかでいられない。8,669時間ゆらいで荒れて切なくてもおかしくない。そういう時、接続できている深い「点」を確かめられたら、残りの時間はmonochromeからvividへ塗り変わる。

ひとりの深い深い「点」を探すだけで終わってもよいぐらい小さな「点」の感触を求める。その「点」が何なのかわからないもどかしさをひたすら言葉に積み重ねていく。

わからないままでもよい。探しに行けるだけ幸運だ。

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