2013.12.08 晴れ
二十四節気、大雪。太陽の黄経は255度。冬の到来。第六十一候、閉塞成冬。トルクが細そうな雲。シフトが重いせいかな、流れない。太陽は琵琶湖を覗けなくてもどかしさげに雲間から一筋を射す。
旬の魚は金目鯛。生物学上は鯛と別種であるのに鯛の字をつける諧謔。好物であるがそうそう食べられない。旬の野菜は白菜。白菜とキャベツが好き。
金曜日にアルバイトの資料が到着して日曜日の夜までかかりきり。何十時間座っていたか、腰と肩を板金しなくちゃいけないような凸凹感。
日の出まえの深閑。
右手足の痺れと友達になって頭痛も仲間にまぜてくれって訴え続ける。で、なぜだか胃も仲間になりたいような鈍い痛み。「なにもなかった」ことがあたりまえではなかったと認識させてくれるいまの身体。ただ昔よりは身体と会話できている感じ。
よくわからない小さな何かが不愉快と不快のボタンを押す。たぶんきっかけはあるんだろう。識別しないだけか、したくないだけか。とにかく「何か」があり、激しい好悪を持つ癖が不愉快や不快の誘因ではない。虚仮にされたという自分側だけにある誤解が回路を形成してボタンを作成してスイッチさせる。「何か」は役目を終えたら何処かへ消える。残るは不。ずっと残る。
惑わされる自分を観察すれば、自分と向き合えていない情況が発露する。まだまだだ。
( みかんです。ちかごろのみかんはあまいんです。むかしのみかんのもうすこしすっぱかったようにおもいます。すこしすっぱいぐらいがすきなんで、あますぎるとちょっとへんなかんじがします。てにね、においがつくんですよ。 )
事物に匂いがあるように言葉にもある。同じ匂いだなって知覚する瞬間。単語の選択や文脈をつくる方向が似ていたり、あるいはまったく異なるのに言葉を紡ぐ前の感覚がひょっとしたらすり合わせられそうな予感があったり、そういう「匂い」がある。
激しい好悪を精確に把持しつつ、情感を研ぐために目を向ける方角を定めない。受信の範囲は無理して広げて深める。受信の方位は四方すべて。矛盾である。矛盾が”ほんとう”を涵養してくれる。
そのなかから同じ匂いの言葉を交わせる人とずっと同じ感の言の葉を拾いたい。心地よい緊張感が好きだ。それがなければ自分は怠けるだろうし馴化する。
ずっと続けたいからこそぎりぎりの線上を丁寧に息継ぎして深く呼吸しながら果ての域で棲息したい。
自分の五感への信頼と懐疑を並立させる。
12月の初旬、(衒いなく使えるようになるまで何度でも使う単語である)孤独について腰を据えて向き合っていない私を自覚できた。
不愉快と不快が自覚をもたらしてくれた。だったらその不愉快と不快も受け入れないとね。時間をかけて溶かそう。
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