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[Review]: マイナス50℃の世界

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ヤクート自治共和国(現サハ共和国)から一通の手紙が、米原万里さんのもとへ届く。

「お元気ですか。こちらはもうすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス二一度。暑いほどです」

返事を書いた。

「東京は春だというのにまだまだ寒く、きょうの気温はプラス二一度です」

ユーモアと飾り気のない文体が心をわしづかみ、文字を追う速度が恨めしく、めくる手が急き立てる。なのに手は行ったり来たり。

マイナス50℃の世界 は、私を戸惑わせる。同じ惑星でないような奇妙な感覚。イメージの輪郭を描けない、想像の外側に在る世界。

サハ共和国の面積は日本の八倍、人口は約95万人。取材へ出発する前、防寒着のテストを三度もやっている。改良が加えられた防寒着を機内で着込み、マイナス三九度のアナウンスを聞いて、「軽い、軽い」と平気な顔で機外へ踏み出す。

瞬間、鼻毛や鼻の中の水分が凍った。

まゆ毛もまつ毛も凍り、毛の一本一本に氷がはりつき、まばたきもままならないのに、空港まで出むかえたテレビ局員と空港の職員が口をそろえた。

「みなさんは日本から暖かさを運んできてくれましたね。マイナス三九度なんて、こんな暖かい日は久しぶりです」

一頁ごとに待ち構える日常は、私の非日常ですらなく、一頁ごとに一回、二回、三回の引き攣った笑い、ついぞ聞いたことのない体験をしてみたくなる。

マイナス40℃以下になると、”居住霧”が発生する。あらゆる水分が凍って発生する霧。「あらゆる」の一部を読んでも信じられない。短い日照時間、傾いた家々、生身で絶対触れてはいけない金属。

テストに合格した防寒着は、マイナス50℃以下で役に立たなかった。ビニール、プラスチック、ナイロンなどの石油製品が通用しない世界。

現地の人々はなにを着るか?

至極の事実と理路整然の訳を理解したとき、自然の過酷さと優しさを忘れていることを自覚した。

今秋、ヤクの毛で作られた衣類を買った。薄くて軽く、濃い生成色のオーガニック。「冬は下に肌着とニット(展示されていたこれも薄手の上着)で十分ですよ」と、お店の方がおっしゃってくださったが、それはいくらなんでも薄着ではと私は訝っていた。

ヤクの衣類を着てはじめて外出した時、あのニットを着てみたくなった。その体験があったから、ほんのほんの少しだけ米原さんの文意を掬いとれた。

風土がもたらす食や習慣、言語がもたらす人の認識。

「スキーや、スケートは、春先の、暖かくなったときの遊び」だそうで、寒いと氷は滑らない。朝の気温が2℃で寒く感じる私は、常識のルービックキューブがバラバラにされたみたいだ。

一枚の写真。米原さんがホテルのトイレで乾燥食材を日本料理「風」につくる姿は、現地の料理が日本人の舌に合わないことを奥ゆかしく語っていて笑った。

酷寒。住めば都のはずが、ここより暖かい土地(といっても日本より寒いはず)で住み、体の調子が悪くなったという人、寒さが懐かしくなって戻ってきた人。

羨ましかった。故郷がないからだろうか。「ここ」に住む理由が、定かでなくても慕う気持ちはある。だけど、「ここ」への慕情は故郷を懐かしむこととは、違うと想像する。

はじめからおわりまで抱き続けた疑問。なぜ極寒の地で住むのか? 先祖はどうしてここへやってきたのか? なぜこの地を選んだのか?

自然と向き合う人々。自然の脅威と慈愛を暮らしにインストールした人々。

自然。それは人間が勝手にラベルを貼った単語。

でも、自然のままを「無名」にしておけば、便利にしようと書き換える図太さと能力を人間は持っている。

自分の暮らしにも不便という遊びをつくろう。これから”故郷”を探すことが、楽しみになった。

マイナス50℃の世界 (角川ソフィア文庫)

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