琵琶湖の夕暮れ

偶然の同調

2014.01.14 薄曇り時々晴れ

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=cG67nBlAKPo]

bonobos – 光のブルース + THANK YOU FOR THE MUSIC でスタート。ええ感じ。お気に入り。空を仰ぐよ、ひとりで見上げて脳裏に語る、馳せる、駆ける。白色から鴇色の階調をのせた雲が漂う。

X-E1をななめがけして散歩。薄暮が影を素描する。時刻を確かめる。ひところより日が長くなった。大津の日の出は7時4分。日の出がもっとも遅い時期。日の入りは着実に長くなっている。次にそう感じるのはいつか、どんな状況か、楽しみ。

いつもどこかに想念があり、象る線はぼやけて言葉にできないけれど、耳の奥で奏でるような旋律が、不意に具現化される感覚を、予感と言うのかな。

ありそうだって感じたらほんとにあった。偶然の同調。たまたま「ありそう」と念じたんじゃなくて、頭のどこかにいつも置いてる「ありそう」が現像される。

「身銭を切る」ことを教えてくれた。身銭の多寡は人それぞれなれど、身銭を切ったら体験できる。すごく響いた。

何気なく買っている野菜や魚もそうかも。ついつい高い安いに目を奪われる。ほんのすこしだけ清水の舞台から飛び降りてみたら新しい体験が待っている。

「こなす」ために身銭を切り、養われる眼や嗅覚。同時に「大事」を学べる。価値あるものを大切に扱うために、知恵や工夫は欠かせない。それと弱い緊張感。

「ありそう」がスリープモードのように、物事を大切に扱うための弱い緊張感を心身の隅々に薄くはっておく。靴を履くとき、「わっ、靴磨きせなあかん」って無音の声が鼓膜をたたく。

( このあいだゆきがすこしだけふりました。そちらではめずらしくないですね。たいようのちからはすごいです。あっというまにとかしてしまいました )

雪

詩文の余韻。

記憶はふたつある。ひとつは事実の記憶。もうひとつは仮想の記憶。回想は事実と仮想の分岐点をつくる。そのとき仮想の方角を選べば、もうひとつの記憶が生まれる。

仮想の記憶空間で再生される無音の音と言葉。

言葉にすれば世界は不安定になる。