日吉東照宮

沈黙の存在

2014.01.19 雪

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=NUrp0MH_n9A]

The Soul Exchange Tour 2013 US Debut Live でスタート。Nao Yoshiokaさん、これからずっと追いかけていきそうな予感。はじめて聴いて、うわぁって叫んだ。さっそくアルバムを買わんと。

18日、神戸へ。12:00からO先生と打ち合わせを兼ねてネットワークの設定。50inchのモニタへ映像を出力するシステムは圧巻だ。ユニークの中核であり、その一旦を提案できて採用してもらえたのはほんとに嬉しい。

01月17日を迎えた翌日の三宮。19年前の映像や実際に目にした情景を記憶から取り出して比べたら復興したように見えた。眼は頭を欺く。

見えない事柄を思い浮かべて車窓を眺め、街を歩く。復興災害と言われる長田地区の大規模再開発、節目に報道される被災者の方々の心境、知らないこと、直に触れなければわからない懊悩が、眼前の街のなかにある。確かに在る。見えない事柄と私が誤解しているだけ。戒める。高校生から下の全世代が、震災を知らない世代をはじめて迎えた神戸。

17:00終了。みっちり5時間。弾んだ声でありがとうございましたと先生の声を耳にしながら失礼した途端、腰がぬけそうになった。ヘナヘナへなちょこ感に包まれる。

睦月はもう終わったと感じるぐらいの分量はしゃべった。もうどなたとも話さなくてもOKな気分。話すことがだんだん苦手になったな。なぜなら自分の話す内容が訳分からないから、支離滅裂だから。自分の声が自分の耳に届いて文脈を解析しても何を言っているかわからない。

予定が狂った。ターナー展をあきらめていつものパン屋さんで大好きなフランスパンを買って食べる。昼食を食べていなかったからちょっぴり空腹。

ここのフランスパンは、噛む味わいを教えてくれた。美味しい。自分でフランスパンをつくって焼けるようになりたいと感じさせてくれたお店。

( このあいだのこうえんのゆうぐからみえたそらです。ふゆはだいすきですが、きれいなあおぞらはなかなかみられません。だれもいなかったのでこっそりゆうぐにはいってとってみました。 )

遊具から見える空

ほぼ毎日かな、屋号で検索してアクセスする方がいらっしゃる。何を読んでいらっしゃるやら興味をもってくださっているかなどまったくわからないが、読者が必ず一人いてくださることは書く礎になっている。

なんでもいから書く行為自体が自分の修養だと信じて続けている。文体や語彙、表現の仕方を勉強していたら楽しい。

反面、何を書いたらよいかわからない日が連続すればもやもやする。修養なんだから気にせず何でも書け、って言い聞かせても思うようにキーボードを叩けず、やっぱり読まれることを意識している自分を知覚できる。

画面の向こう側の沈黙を感じる。

書いてきてわかったこと。それは、「沈黙」の存在を認識できたとき、沈黙の存在が礎になり、自問自答と沈黙への対話の狭間に己を置くようになった。

書くことは空白を見つける作業だ。まだ知らない自分のなかの空白を発見するために書く。