日吉東照宮
diary

厚く覆っていた雲

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2014.01.20 晴れ時々曇のち雨

[youtube:http://www.youtube.com/watch?v=x3OJTZVKZx8]

Sigur Ros – Samskeyti でスタート。シングルモルトの琥珀色は思いを馳せる濃度と比例しているんじゃないかって思える。なぜかわからないけれど。モルトを飲みながら馳せて聴きたくなるバンド。

二十四節気、大寒。第七十候、款冬華。旬の魚は鰤。刺身よし、煮物よし、鍋よし、焼きよし、と近江商人の三方よしを一枚上いく優れもの?! いただく側も未来へ資源を残す責務を忘れたらあかんよね。

13:30からF先生のミーティング。ミスとエラーについて。読書中の “ファスト&スロー (上)” ダニエル カーネマン, 村井 章子 には、人の認知能力の事例が掲載されている。自分の認知を自ら疑う知性を持つことは難しい。(心理学の実験だから)話半分に割り引いてもそう理解した。

「そんな馬鹿な」「そんなことありえない」の「そんな」と口にした時点で私の認知は偏っている。「そんな」はいつでも起こる。

自然法則は緻密な論理を内包していても、人の行為と会話は「私は」から始まる。脆弱な前提を認識したうえで自分の行為を丁寧に積み重ねる。

コミュニケーションは素敵な誤解から成り立っている。

15:00に終了。帰りの列車が遅れていた。陸橋の上で停車した。前を走る列車がつっかえている。普段なら止まらない場所。真下は琵琶湖から大阪まで流れ出る淀川。いま落ちたらどうしましょうか的なチラリ、のぞき込む。西へ目を向けたら鬱金色のグラデーション。光は階調を自在に描き出す。綺麗。

一日の始めに目にしたのは美しい雪景色、艶やかな夕焼けで終わる。

“詩のこころを読む (岩波ジュニア新書)” 茨木 のり子“倚りかからず (ちくま文庫)” 茨木 のり子“文庫 一時停止 自選散文1955-2010 (草思社文庫)” 谷川俊太郎 を読んでいる。眺めるに近い。文字を追う目は上から下、右から左へ運動していない。頁全体の言葉の配列や語彙の選択をスキャンして映像を鑑賞しているな感覚。

同じ詩を読んでも都度の心情が意味を象る。一度目と二度目では異なる心模様。前は気にならなかった詩が化学反応を起こす。情感のリトマス紙。

意味は与えられるのではなく、自らの体験を下ごしらえに意味を作る。物語よりも広い深い文字の空間。

( にちようびにまたゆきがつもりました。こんかいはまえよりもおおくつもりました。こどものころはゆきをみたことなかったのではじめてみたときほんとおどろきました。 )

駅に残っていた雪

詩情を含んだ政治の言葉は聴衆を惑わす。この間、「これまで日本を厚く覆っていた雲を取り払うべく、うんぬんかんぬん」と首相が演説している声を報道で耳にした。

とても恐くなった。意味がまったくわからない。「厚く覆っていた雲」とは何だろう。「取り払う」とは誰がどう何を取り払うのか。 それらにまったく触れられていない。

邪気の有無にかかわらず使い手次第で詩情の魅力は豹変する。具体的な事柄に一切触れず、修辞を使いこなして物事は好転しているかの偶像を演出する。修辞を案出する参謀は、「なんとなく」納得できる美辞麗句を並べる。

美辞麗句だと思わせない日本語を練り上げるから厄介なんだ。耳にした私は、外連味の言葉が「中身」を説明しているように感じてしまう。「中身」なんてないのに。

詩情を巧みに利用した政治の言葉や東京オリンピックの標語を耳目するとき、戦争はこうやって始まったんじゃないかと仮定したくなった。

頭の抽斗に仕舞わずに脳みそのデスクトップに付箋紙を貼っている自戒。

言葉は凶器。

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