[Review]: 私たちには物語がある

3万日。一生をたとえた日数だ。

きりとひびきが良いからかしら、82歳は長く感じられる、私には。つまり警句である。「人生は3万日しかない」なんて言われたら、あらそんなにあるのと思いたいものだが。

いつまで生きられるかは…… 承知の上、ただわざわざ口にするまでもなく、野暮というもの。時には黙っていたら、みばのよいこと。

1分間に何頁読めるだろう。それがわかれば、残りの日数を掛け合わせる。読める冊数をはじきだせる。あえて身も蓋もない言い方して冷静を装う。もしも残された日数から読める冊数がわかっても、それを超える本を読みたい。

そして手元に本を積む。どこか隅っこに「未読」が刻まれる。背表紙を目にするたびに後ろめたさと楽しみが混ざり合う。

日ごろ、今しかないと心がけたく過ごしているつもりが、「つもり」のまま露呈する。とんまなことしてるわけだが、著者だって、「すでに亡くなった作家をあまりにも好きな場合、既刊の著作をできるだけ読まないようにする」んだからと慰めた。

一気に読む。著者曰く「感想文集である」本は141冊。私が数え間違えていなければ。うれしくてにくらしい。これから読みたい本があり、未読がふえるじゃない。健全なじれったいって、今のような気持ちだろうか。

感想文と書評の違いを私は知らない。興味もない。どちらでもあって、すぐに本屋へ行きたくなるような文章に出会ったら本屋へ行かないと礼を失する。

「現実はいつも小説を凌駕しているし、小説を書くものの想像を軽々と超える」のに、私は虚構の物語を引き受ける。

“私たちには物語がある” は物語を物語る。小説、詩、随筆、ジャンルを軽やかに飛び越えて、物語る。まるで141冊を語るひとつの物語であるかのように。

正直に申し上げると、なかには偏見を抱いていた本もあった。平積みのベストセラーはあまり手に取りたくない性分があり、「未読の既読」と刻印していたこの先読まないはずの本の感想を読んだとき、恥を忍んでAmazonへアクセスした。

危うかった。私の中の葛藤。141冊を読んだ気になりそうで、こんな錯覚は私だけなのか訝しむ。これから読みたい本を読むのだが、勘所をおさえた蠱惑的な文章は、既読を押させそうで参りました。

私がもっとも好きな作家は「現実と虚構の区別がつかない人は、良い読み手か、悪い書き手になる」と書いた。書き手になりたいと妄想しなくてよかった。

このまま良い読み手になるべく、これから141冊を吟味して精進しよう。