ふうの木の黄葉
diary

不意は存在の下味

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2014.04.04 曇り

ハナレグミ – 光と影 でスタート。「誰でもない」がひっかきまわす。にがりの代わりに澱粉を入れた豆腐をまぜるねばりってこんな感じかしらとまぜたことないのに不安と安堵の粘性が増す。

突然やってくる。

何事も。だから備えあれば憂いなしが時代の濾過をくぐりぬけるのか。「私は元来詩が苦手だ」という角田光代さんが畳の上にしばらく放置されていた『長田弘詩集』を手に取ったとき、やってきた。「気がついたら酔いなんかすっかりさめて、さめているのに私は泣いていた」瞬間(“私たちには物語がある (小学館文庫)” 角田 光代)。

所構わずやってくる。

背中の痛み、声はかすれ、胸はままならない。そんなときに目を落としたからか、列車内の “茨木のり子詩集 (岩波文庫)” 岩波書店、鼻の奥がつんとする制御不能の身体反応。茨木のり子先生の詩集は昨年も読んだろ、ふだんからぱらぱらめくるじゃないか、しかも前に目にした詩なんだぞ、なのに、なのに、耳から”光と影”,”PEOPLE GET READY”が記憶の圧力を抜いて、虚構と現実のすきまにある理想を想起させる。音と文字と実体のない映像が交錯して眼瞼の奥がむずがゆい。

“一色一生 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)” 志村 ふくみ, 高橋 巌, “色を奏でる (ちくま文庫)” 志村 ふくみ, 井上 隆雄, “語りかける花 (ちくま文庫)” 志村 ふくみ を購入。一気に読みたい。いま、手足を動かしていらっしゃる方々の文章を貪りたい。養老孟司先生の3部作を読み終えて、もっと読みたくなる。手足を動かしてものを作る人や物事を研究していらっしゃる方の言葉は上滑りしない。まさに「勁さが心を打つ」。身体から発せられる。

翻って何もつくらず、口八丁でやっている私はそれらの言葉に強い嫉妬を覚える。劣等感が貪ろうとする。どれだけ読んでも身体のモノ・コトを頭で理解しているんだから、笑うに笑えない皮肉なんだけど。

( もくれんです。そちらではそろそろですか。もうさいていますか。しろやむらさき、どうして、いろはあるんでしょうね。ふしぎです。いろとにおい、これからいっぱいまってますよ。 )

木蓮

10年続ける。10年経ったらそいつは20歳になる。お前これからどうするよ?ってそこで訊ねるんだろうね、と。ひとりの少年に対して10年後を見据えて語るまなざしはやさしい、きっと。

大人と子供、立場や年齢など一切関係なく、ひとつの運命とひとつの運命が出会う。

身体から発せられる少年への言葉は、どんな文学や詩よりも深く染み入る。

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