diary

世代は抽斗にしまいました

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2014.04.15 晴れ

[youtube:https://www.youtube.com/watch?v=apr2JCdpTbQ]

ゲスの極み乙女。 – パラレルスペック でスタート。毎日聴いているラジオのヘビロテ。ほんとよいです。さくっとはまっています。

嫌い。

「世代」という単語。ずぅっと前から世代はあるんだから、「世代」でひとくくりしてシニシズムに陥りたくない。世代という大きな括りのなかでむれている自覚がないから、違う世代の所作にあれこれ思う。

世代の時間軸が短い。生まれる100年、1000年前へシフトしたら、あれこれ思う世代と同じような世代が過去にあり、その方々が時代を切り開いていたなんて構造は歴史のなかにあると思う。

隔絶も超越も世代を前にしているから使いたくなり、懐古は世代の記憶を遡り、共通の共同幻想をつくる。

個と向き合う。

クライアントに新人のDHさんがやってきた。20歳すぎの方のはず。とてもおもしろい。どうやって求人を探したかを伺って驚くことばかり。まわりもそうなのかと確かめたら、そうだという。これが世代かと感じた。あとは「それ」を自覚して認知の抽斗にしまっておけばよい。

その方自身の話を伺って、あなたと私の差異を互いの認知のテーブルにのせる。誰かの着眼や行動様式にふれる。自分の何かが拡張される感覚。歳の離れも気にしない。

( アブラナです。きいろとみどりがとてもうつくしく、においにおどろきますよ。やさいとしてそだてられて、あぶらもとれるんです。とってもとってもむかしはざっそうだったんです。 )

アブラナ

“中国化する日本 増補版 日中「文明の衝突」一千年史 (文春文庫)” 與那覇 潤 を読了。たぶん誤解をまねくタイトルだと思う。誤解を招きそうなタイトルとは裏腹に中身の「中国化」は驚きの連続。

昔になにかで読んだ、「大学は高校までに習った教科書が嘘だったということを学ぶ場所だ」(うろ覚え)を思い出した。

自称歴史ファンが熱く語る歴史を専門家は冷静に緻密に否定する。さらにもっと大きな「構造」と「流れ」で捉える。「歴史はくり返す」意味がわかる。歴史と歴史学は違う、哲学と哲学学が違うように。

網野善彦先生の著書を読んでいたせいか、歴史観や学説がひっくり返される過程に興奮する。歴史にアプローチするときにどんな「方法」を用いて学を編み直すか。そこがおもしろい。

與那覇潤先生のややデフォルメ(?!)された語り口調もあってか、スルスル読めて、以前からなんとなく首をかしげていた 「江戸時代万歳」も私の中では眉唾物に分類された。

とはいえ、先生の講義内容を批判的に捉え直して反論するとしたら、という視点では読めていない。これからどういう本を読んでいけばよいか主要参考文献リストが巻末に収録されているのでありがたい。

差異を心から認めるためには視野を広げないと。視点を学ばないと。小さな身の回りの出来事が大切なんだともっと実感したいから、大きなまったく自分とは関係のないように錯覚してしまう「大局」と「対極」に目をむけないと。

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