平泉の八重桜
diary

ハラハラしてもイライラしないしイライラするけどハラハラしない

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2014.05.28 晴れ

忌野清志郎 – ラヴ・ミー・テンダー でスタート。ラストデイズ「忌野清志郎×太田光」 – NHK から思うこと、もしボスがいまを見たらなに歌うかなって。でも、そっちへいってからも奉られるのってボスがいちばん嫌いなことかもしれないって思ったりして。笑ってしまうよね。三浦友和さんがテレビでおっしゃってた。高校時代に音楽やろうとして続けなくてよかったみたいなことを。だってすぐそばに天才がいたのに近すぎたばっかりに気づかなかったって。

自動改札口をぬけたら目の前に小学生の女の子。単行本を読みながら歩いている。脇を通り抜ける、刹那、目視したけど判然としない。小説かな。微笑ましい。

そんな年頃のとき、本にまったく興味なかった。もうすぐ階段だ。彼女は読みながら降りる。あぶない。ハラハラしてもイライラしない。なぜだろう。でも危なっかしい。

不思議。

スマートフォンをみながら階段を降りる人が、まるでキウイフルーツのようにいつのまにか増えた。イライラしてもハラハラしない。加害者にも被害者にもなりうることを映像化しない、できない。

スマートフォンか本の違いである。危険の構造は同じだ。なのに片方はついつい頬がゆるみ、もう片方は頬がひきつる。認知の誤謬を体感。

23世紀の人類が21世紀の歴史を勉強したとき、よくそんな環境で生活できたなと思うのかしら。NHKスペシャル|シリーズ エネルギーの奔流第1回膨張する欲望資源は足りるのか の冒頭、環境をテーマにしたときにしばし出題される問題。

インドの国民全員の生活水準が先進国と同じになったら地球のエネルギーは何年で涸渇するか? 全人類の生活が先進国と同水準なら?

「超深海の石油掘削に乗り出したブラジル。「オイルサンド」からの原油抽出に成功し、世界有数の産油国に変貌したカナダ」は、本を読みながら階段をおりていく少女やその孫たちの資源を先食いしてるともいえなくない。

屁理屈を考えたらシンプルだ。有限を無限のごとく使えない。いつか有限の果てがやってくる。技術が解決すると楽観しても、有限は変わらない。

テーマが広すぎてどこから手を付けたらよいか皆目見当が付かない。だからといってそっぽを向きたくない。一市井の人として自分の暮らしにまでテーマを落とし込んで生活しようと痛切に感じた。

( たんぼです。たうえをおえたたんぼはみずがかがみのやくめをはたしてくれます。けしきがうつっています。このじきだけにみられるけしきです。たいようがきらきらはんしゃしてとてもとてもうつくしいです。 )

田植え

時間。

“里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)” 藻谷 浩介, NHK広島取材班 の手間返しは時間の根本だと思う。

「人生」と「退屈」または「暇」という単語をセットで検索すれば、「時間」と向き合ってきた人々の言葉がディスプレイを占拠する。

手間を惜しんだ結果、便利になって生まれた空。空のなかにある白。その白を涵養する。真っ白にうっすらと塗る。白に白を重ねるぐらい曖昧でゆらゆらしている。

白に白を塗り重ねたら、時間が厚みをつくり、時を経て白の層からほどよいあんばいで何かしらの色が浮かび上がる。

そんな悠長なことを言ってられないのか、便利になって生まれた空のなかにある白を一瞬で何色かに塗り替える。

空白への恐怖。なにか埋めなければならない焦燥。

スマートフォンに20分や30分はりつくことができても、土鍋やストウブでごはんを炊くためにはりつく時間はない。スイッチを押したら炊いてくれんだから。

自分の身体にたずねる。どんなふうに暮らしたいの?

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