薔薇

わたしだけの撞着 あなたの矛盾

2014.06.12 曇り

Ska me Crazy – Tokyo Ska Paradise Orchestra でスタート。06/08(日)は京都劇場で立ち見から見下ろしてました。あんなライブ、はじめて。まさに見下ろす。傾斜角度知りたい。谷中さんのMCに笑って、ブーイングあびせて、「歓喜の歌」をみんなで大合唱して。笑ったし、ゆれたし、君と僕を聞けて、大森はじめさんと葉加瀬太郎さんが「似てる」のわかったし、いい汗かいた。

高齢化社会の文字は、どこかに思わしくないしこりを持っている。報道は行間に危機感をさしこむ。反対に長生きはというと、思わしい響きがある。「私は長生きしたい」けれど「高齢化社会は不安」な矛盾。

まるで少子化を憂える大人たちが、街の保育園建設に反対する構図みたいだ。「うるさいから建てるな」という。

外から見たら、長生きは高齢化社会の部分であっても、自分が部分のなかにはいれば感じ方はかわる。高齢化社会から長生きを取り払う。部分の集合にだけ帰属したい。

健康がはっきりと定められていないのに、「これを食べると健康になるますよ」が気になる。

矛盾をそのままにしておくなら、いったん自分のなかに取り込んで、咀嚼してから吐きだしてみたい。噛んでもどうしても飲みこめないことはある。「ある」と了解できるまでの道筋が、動詞「わかる」と思う。

矛盾、の語感がおもしろい。同義には撞着がある。同義なのに、「それは矛盾だ」と「それは撞着だ」では、なにか違う。 矛盾は他人や現象をさして使い、撞着は自分に対して使いなれているせいかしら。

むかしは矛盾のなかに否定の感情をもった。いまは薄れた。矛盾、とあれば知恵の輪をとく気持ち。矛盾に善悪を置かなくなってきたからかな。

( あじさいです。しごとさきへむかうとちゅうでみつけました。あなたのおかげです。つぎはなにをさつえいしようかなぁって、まちをみわたしたりしてますと、はっけんがあります。あじさいはきょねんとちがういろになったりします。ふしぎでしょ。 )

紫陽花

13:30からミーティング。腐草為蛍。蒸れて腐りかけた草。そこに蛍の文字。季節の景色をすみずみ目におさめている様子が伝わってくる四文字。

草と同じく頭と皮膚が腐りそう。湿気が大の苦手。へとへと。くたくた。くしゃくちゃ。ぐちゃぐちゃ。こんな弱くなかったのに、ここ数年で入梅から明けまでをやりすごす体力は一気に落ちた。

歩く速度は遅く、距離が短い。いままで二駅前で下車して歩いていた所を一駅に、時には最寄り駅までダウングレードしてしまう。

魚の値段があがっている。漁獲高が減少しているのに加えて世界的な消費量が増えていると目にした。やや悲観的にとらえると、「高級魚」への立候補者が増えるかもと売場でながめる。

一方で、養殖技術の向上が天然をしのぐようになり価格が逆転している魚もある。

鰻の報道が人間の事情を如実にあらわしている。食と商いが賄えるぐらいにはなんとか残ってほしいように聞こえる。そこにからまる文化。

もうずいぶんまえから口にしなくなったから、ややぞんざいに映るけれど頭ごなしに否定しない。でももう待ったなしの環境。

栄養と食だけにフォーカスすればFAOが提案する昆虫は理にかなっても、文字を見ているだけで「おぉぉぉぉ」と肌がプツプツなるんだから、私のわがままは尽きない。