琵琶湖
diary

私は機械

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ハンバートハンバート – おなじ話 でスタート。最後まで聴いて、意味が時間をかけてゆっくりしみとおる。最近、ハンバートハンバートがマイブーム。ファーストアルバムからたどる、ゆっっくりと。おなじ話ができること。できなくなったときに感じる、幸せと確かめる暇すらなかった幸せだった時空。もどってこない時空。

ICカードと接触した自動改札は、「どうぞ」と促さすようにピッと音をたてた。3列の改札から聞こえるピッ。中央を通りぬけた私は改札に制御されている。どちらが機械だろう。

ピッに合わせて、駅員さんが「ありがとうございます」と声かけしている。ピッとありがとうございますの合間に「お気をつけて」をテンポよくいれてくれた。”ピッ、ありがとうございます。ピッ、ありがとうございます。ピッ、ありがとうございます、お気をつけて。”な調子がワンセット。

駅員さんだけが、その場にいた人間かもしれない。

先生はディスプレイに見ている。問診しながらこちらの答えを入力する。視線の比率は画面多め。会話と会話の間に聞こえるカチャカチャは、こちらの声を文字に変換して表示する。声の視覚化。

先生と私は情報を見る。二人は画面に話しているかもしれない。どちらが管理しているんだろう。電子カルテか人間か。

たぶん次世代技術の開発ははじまり、インターフェースは設計されているだろう。「どちらが機械かわからない」と感じる人間は、日本の総人口よりも多くいると思う。だから私は楽観している。

いずれ非接触型ICカードと改札と感じさせないデザインとシステムが導入されるだろう。音声入力とコンピュータの性能が進化すれば、先生と私の会話を録音したPC(もうそのころはPCなんでないかもしれない)は、内容を解析して最適化したうえで電子カルテに医療情報を保存してくれる。

現在の技術と最大公約数のデザインが、システムの到達点ではない。いつも過渡期。ただ楽観しても恐怖はある。先取りしない程度の恐怖。

その恐怖が実現するかもしれない未来にはいないから、SFは恐怖を疑似体験させてくれる。

( きいろです。すみません、はなのなまえがわかりません。やまぶきかなっておもってしらべたけどきせつがちがうような…..。きいろがきれいで、ごらんになってほしくてとりました。 )

やまぶき

第二十七候、梅子黄。梅の品種は三百以上あり食用に適した「実梅」と鑑賞するための「花梅」に大別されるとの由。300種! 先日、TLで梅のレシピを見た。夏に弱すぎるからさっぱりしたものを食べたい。かつわがままだからそれで少しでも栄養を摂取したい。ありがたい。

スーパの売場へ行く。不思議。梅干しをイメージしても唾液は分泌されないのに、売場の梅干しを視認したとたん、唾液があわただしく口中にひろがる。

雨が少ない、ように感じる。実際はわからない。二週間後には6月の雨量が報告されるから体感と実体の差異を確認できる。自分のところだけで少ないとついつい思ってしまう。他の地域では降っている。

旅行先の天気が気になっても、住んでいない地域の天気は気にしない。気になる存在があって気にする。ないをあるように気にする視座が、実際に経験していない物事の細部を描く。かんたんには描けないからもがく。

想像力と書いた瞬間、それは失われる。急速に名詞化される。

紫陽花と雨は似合う。勝手に感じてる現象をなかなか拝められない。じれったい。ずいぶんな話なんだけど、勝手に感じる現象を覆すだけの力がまだない。

ないものをあるような気にする視座を養わないと、今年の紫陽花は苦しそうに見えてしょうがない。

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