琵琶湖
diary

孤独はノート

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MONKEY MAJIK – One Moment でスタート。粉モンを周期的に食べないと禁断症状が発症するように、周期的に聴かないと落ち着かない曲がある。その一曲。とにかくあの出だしのギターを聴かないと始まらない日がある。

自分の壁を購入して読了。文体に異物を感じた。ですます調は珍しい。これまでも読んだはずなのに、リズムが同調しずらい。表現が易しく、丁寧にかみ砕いてある。テンポよく読めるのに忘れてしまう。背後からどんどん崩れていく煉瓦の上を歩いてるみたいなジョーク。トムとジェリー的寸劇。

先生が展開する理の「跳躍力」がいつもより弱い。どうしてだろうと思いつつ読み進めて4時間後、判明した。あとがきに書いてあった。口述筆記。「新潮新書として出版するときの恒例(?)」とあり、そうか、これまでもそうだったか、と書架から過去の新書をとりだしてパラパラめくる。

だから最近は、あまり一般性がないと思う話題の本は自分で書き、少し大勢の人に読んでもらいたいときは、いわば「書いてもらう」という二種類の本を出しています。思えば贅沢ですね。

“「自分」の壁 (新潮新書)” 養老 孟司 P.222

「自分の話」がいったん「他人の頭」を通って書かれるとわかりやすくなることがあるとおっしゃる。この本自体が「自分の壁」をひょいっと乗り越えていられるかのよう。

孤独はノート。

LINEで会話しているとき、相手の文字に誘発されて浮遊したフレーズ。自分を写す。ペンは何だろう? 浮かんでこない。ノートに自分を写すイメージが鮮明だった。

“孤独の科学—人はなぜ寂しくなるのか” ウィリアム・パトリック, ジョン・T・カシオポ にまだ手がのびない。ケン・ロビンソンがTEDTalksで紹介したベンサムの言葉。「世界には2種類の人がいる 世界を二つに分ける人と そうしない人だ」としたら、「世界には2種類の人がいる 孤独に向かう人とそうしない人だ」と言ってみたくなる。

非科学で非論理的、帰納だけど、孤独に向かう人の語感に強くひかれる。語感を直感する。それが“センス・オブ・ワンダー” かもしれないし、“森の生活” かもしれない。とにかく「自分」を掘っていく人からにじみ出るユニークな匂い。かぎ分けられていない。

でも、たまに強烈な香りと色気をはなっている人がいて、嗅覚が平均的に正常機能していれば吸い込める人に出会った時、話のなかにまぎれこむ句の響きに、「あっ、自分へ深く深く向き合っていらっしゃる」感の信号を受信する。

( いっかげつまえにさつえいしたびわこです。しずかなときのびわこです。とまっているみたいです。うまくいえませんが、ずっとずっとうみがみえるようであってほしい、うみのにおいやおとをかんじられるようであってほしいってねがっています。 )

琵琶湖

病院に何をもとめているのか。病院で暴力をふるう人がいる(らしい)。暴力は殴る蹴るだけではない。罵詈雑言も暴力だ。そういう人たちの胸奥を憶測したくないが、するとしたら何を期待しているんだろうか。

暴力。人にカメラを向けるのも暴力といえる。百年後の社会はスナップショットを暴力と認知しているかもしれない。

私の日々のルーティンは病院を含めない。ところが一瞬でも病院を含んだとき、病院の風景が2ヶ月に1回ぐらい立ち寄るラーメン屋さんのような景色へと急速に変わる。そうなったとき、何か期待している、あるいは反応を求める私がいる。コンビニエンスストアで「ありがとうございました」を真剣に聴いていないのに、なかったなかったで物足りなく感じてしまうアンビバレントを病院の風景にもインストールしてしまいそうだ。

癌を患った方々が入院してる病棟と一般病棟との看護師さんに接したとき、こちらは勝手に二種類に分ける奢りと自分への慰撫。前者に勤務する看護師さんを優しいと感じる何か、なぜか。

一部の事務の人々に接したとき、50年後、そこにASIMOが座っていても違和感はないと思った。この傲慢な認識は病院に何を求めているんだろう。

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