[Review]: 心臓を貫かれて

僕の兄は罪もない人々を殺した。名前をゲイリー・ギルモアという。彼は現代アメリカにおいて時代を代表する犯罪者として、名を残すことになるだろう。

“心臓を貫かれて〈上〉 (文春文庫)” マイケル ギルモア

人は生まれながらにして一定の知識を持っているか、経験がすべての知識を獲得させるのか、生得と経験について専門家たちは論争している。いずれ決着がついて知の体系に組み込まれるとはいえ、人は生まれながらにして暴力をふるうように設定されているんだろうか。それとも経験が暴力を誘発するんだろうか。マイケル・ギルモアが自身の家族を語った物語、暴力は生得か経験か、私のなかではよりいっそう混迷していった。

筆者のマイケル・ギルモアは四人兄弟の末っ子として1951年に生まれた。そのとき父フランク・Srは61歳、母ベッシーは38歳。長兄のフランク(・ジュニア)が1939年に生まれて、順にゲイリー(1940年)、ゲイレンの兄たちがいた。フランクには前の結婚で生まれた息子ロバートがいる。

マイケルは家族に対して「自分だけがその共同体から離されているように」感じ、「愛と絆を必死になって求めるのだけれど、何故かいつもそれを得られずに終わっているように」感じていた。マイケルが生まれた頃からギルモア家の暮らしは漂浪から定着へ変わっていた。なによりマイケルは父親から愛されていた。

マイケルが生まれる前のギルモア家は、父親の暴力と母親の怒りで埋まっていた。

フランクは3人の息子たちに暴力をふるっていた。ゲイリーが何か悪いことをして罰するとき、ジュニアも連座で罰せられた。たとえジュニアは何もしていなくても罰せられた。ベッシーにも暴力がおよんだ。長年にわたって蓄積された暴力は、ベッシーの顔を激しい怒りに変えてゆく。顔にじみ出る怒りは、まるで法則のように子供たちへ向けられる。

殴ることだけが暴力ではない。嘲り、咎め、罵ることも暴力の一部だ。

子供のころから両親の暴力にさらされてきたフランク・ジュニア、ゲイリー、ゲイレンは、自分の身を守るためか、それぞれの人格を形成しながら暴力を獲得する側と暴力から距離を置く側へわかれていく。何が兄弟を分けたかはわからない。

やがてゲイリーは暴力の側へ生きていく。極端すぎるほどの暴力の側へ転がる。ゲイリーは36年間の人生のうち22年間を刑務所ですごした。「ゲイリーのやったことは恐ろしいことだ」とフランクはマイケルに語る。そしてこう続ける。

許されないことだ。しかしこれまでゲイリーが受けてきた仕打ちだって、それはひどいものだった。(…..) 二十二年間あいつは刑務所の野獣のような社会で叩き込まれてきて、あいつ自身野獣のようになってしまったんだよ。だからこそあんなおそろしいことができたんだ。

“心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)” マイケル ギルモア P.244

ゲイリーの暴力がエスカレートして野獣になっていく姿を読み進める私は、途中で読むのをやめようとした。どうして破滅的なまでに暴力の側に生き、何度も犯罪を重ねられるのかまったく理解できなかった。

フランク・ジュニアの言葉が突き刺さる。

ゲイリーは多くのおぞましい行為の犠牲者であり、また同時に加害者でもあったんだ。あいつはきっとこう言っただろう、『ああ、俺は破壊されてきた人間だ。しかし今では破壊をする側の人間だ』ってな。

“心臓を貫かれて〈下〉 (文春文庫)” マイケル ギルモア P.244

結局、途中でやめなかった。最後の最後にもうひとつの「秘密」を知ったとき、ギルモア家の暴力と愛のクロニクルをどう言いあらわしてよいかわからないまま読み終えた。

暴力は一人の人格を破壊する。同時に破壊者をつくる。二つの殺人。精神を殺し、次に肉体を殺す。だから暴力はいけないと即答できない。ためらい。暴力を認めるんじゃない。即答するために「暴力」と対峙する。

人は他者について饒舌すぎるぐらい分析できても自分のことを深く洞察できないときがある。開けてはいけない扉の前に立ち止まったまま、どうにしかしてこの扉を開けずに「向こう側」へ行ける術を探す。

マイケルが家族を冷静に見つめているなかに、語りが混沌としていく場面がある。家族に対してはノンフィクションであるが、自分と家族の関係はフィクションでありたいかのように事実か想念の境目がはっきりしない。

「ある種の精神の傷は、一定のポイントを越えてしまえば、人間にとって治癒不能なものになる。それはもはや傷として完結するしかないのだ」(訳者あとがき)として、訳者はこの一冊を通じて「暗く陰鬱な認識」と認めながら、人間あるいは世界に対する考え方を少なからぬ変更させられた。

私はまだ認めたくないけれど、認めたくないならば、頭としてではなく、皮膚感覚として、実在として、世界の、人の、家族の暗くて信じがたい闇と、生得か経験かわからない暴力は、確実に存在していて、暴力は精神と肉体を破滅させる。「暴力」と対峙しなければならない。「暴力」との関わり方、向き合い方を著書から問われた。