窓
diary

強調・太字・斜体・64ptな私

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2014.08.10 雨

John Coltrane – Blue Train でスタート。コレ聴いてるなにかと捗る。読書とか、イメージトレーニング、存念など。

ディスプレイの媒介は我利を抑圧から解放するみたい。面と向かって言えなくても、ディスプレイ越しだと書き込める。

Facebookでは皆が褒めそやす。久しくアクセスしていないので、現況を知らないが、「どこどこ行きました!」(いいね)や「なになに食べました!」(いいね)の社交辞令と義理と素直が微妙な配合で混ぜられた空間は、「どこどこ行きました!」(そんなのどうでもよいよ!)や「なになに食べました!」(それがどうしましたか?)、的な嫉妬の空間へ、半年やそこらで変容しないだろうから、和やかな惰性系が形成されていると想像する。

Twitterの片隅では皆がはげしくののしる。リストのRTをうっかりふんで、罵倒語のゆたかな語彙力に背筋が凍り、議論が白熱してしまった結果、開発のためにすべて燃やしてしまった密林のような荒涼を垣間見て、時間の費やし方を身にしみて強く感じ、暇と退屈の倫理学を本棚からとりだして第一章を再読。

反対もある。Facebookのエントリーは、テーマによってはコメント欄が魑魅魍魎である。政治家や著名人が標的にされやすい。「公開」されているから無節操なコメントを残す。Twitterにはほのぼのしたさえずりやまじわりもあり、専門家や職業人の「ひとかたまりにセットされた」意見がある。それらの集まりにアクセスできたらとても勉強になる。

Facebookは実名でTwitterは匿名だからと側聞するたび、keenをはいて濡れた鉄板の上をうっかり歩いてすべる仮想映像を頭の中で浮かべつつ、おだやかに反論する。匿名より当人の性質が環境に影響をあたえていると思う。

実名・匿名問わず、制御不能の単語が並び、「こちらの側」でなかったら徹底的に攻撃する。これも多数の反対事例がある。実名・匿名問わず冷静に意見交換していらっしゃるし、相手へ反論しても、感情を損なわないように配慮されたニュアンスが込められているさえずりも目にする。

ディスプレイが媒介したら、相手は存在しないのだろうか?

他者との距離を測り倦ねる。私を問い、私を強調する。私が太字になり、斜体になり、サイズが変わり、私をひたする強調する。自分の壁が待っている。

私の距離感は正確なんだけど相手の精度が低いからちょうどよい距離を続けられなくて困惑しつつ、ひとりの私はいやな感じがして、ひょっとしたらこれからは私と他者の「狭間」あるいは「中間」が問われたり、あるいは「中間」「狭間」って単語がブラッシュアップされていきそう。

( しずくです。みずたまのなかにけしきがうつっています。すてきでしょ。けしきがまがってます。なぜでしょうね。わたしはうまくせつめいできません。だからべんきょうします。こうやってうかんだことをべんきょうするのってたのしいです。 )

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台風の通過を部屋で待つ。琵琶湖はどうなっている? 一晩で22cmもの水位が上昇した。水量を体積に換算する。見てみたい欲望。

D810(買えるわけないけど)に35mmのレンズを装着して、カッパを着て撮影している自分の姿を妄想した。どんなふうに雨と琵琶湖を表現しよう、雨が動いているように止めて撮影するにはどうしたらいいだろう。知らない世界。方法もわからず。ひろがる妄想。被害の心配と妄想を交互に思い浮かべて、アルバイトの資料入力の精度が低下しないように、60分に1回ぐらいの割合で正気にもどる。

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